「殿、利息でござる!」のネタバレあらすじ結末

殿、利息でござる!の紹介:2016年5月公開の日本映画。千両もの大金を藩に貸し付け、その利子を配分し、寂れた宿場町の復活を成功させたという、江戸時代の実話を映画化した時代ドラマ。阿部サダヲが町の復興のために仲間とともに奇策に挑む、造り酒屋の十三郎を演じ、『予告犯』の中村義洋が監督を務める。仙台藩主役でフィギュアスケートの羽生結弦が映画初出演を果たしている。

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予告動画

殿、利息でござる!の主な出演者

穀田屋十三郎(阿部サダヲ)、菅原屋篤平治(瑛太)、浅野屋甚内(妻夫木聡)、とき(竹内結子)、遠藤幾右衛門(寺脇康文)、穀田屋十兵衛(きたろう)、千坂仲内(千葉雄大)、早坂屋新四郎(橋本一郎)、穀田屋善八(中本賢)、遠藤寿内(西村雅彦)、なつ(山本舞香)、加代(岩田華怜)、穀田屋音右衛門(重岡大毅)、萱場杢(松田龍平)、きよ(草笛光子)、先代・浅野屋甚内十三郎(山崎努)、橋本権右衛門(堀部圭亮)、八島伝之助(斉藤歩)、栄洲瑞芝(上田耕一)、伊達重村(羽生結弦)、ナレーション(濱田岳)

殿、利息でござる!のネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①仙台藩黒川郡吉岡宿は伝馬役の自費負担で夜逃げが相次ぎ、残った者がより苦しい思いをしていた。伝馬を救うため妙案はないかと聞かれた菅原屋は「お上に銭を貸して利息をとろう」と言い出す。集める金は金千両(3億円)。額は多いが仲間を増やせば負担が減ると、同志を募り始めた。 ②やっと集めた金だが萱場が「銭ではなく金(きん)で」と言う。仙台藩は困窮のため銭を造っており、貨幣価値が変動してさらに銭が必要に。それでも工面した一同は藩に受け取ってもらい、伝馬役の負担は大幅に減った。

【起】- 殿、利息でござる!のあらすじ1

『これは、本当にあった話…』
今からおよそ250年前。江戸時代の中期。
仙台藩は財政が厳しい状態で、特に黒川郡にある小さな宿場町・吉岡宿は負のスパイラルに陥っていました。
宿場町で町の半分は商いをしているにもかかわらず、旅の商人は別のルートをたどり、通行して銭を落としてくれる人はおりません。景気はすこぶる悪いものでした。
さらに伝馬役(てんまやく)という、お上(かみ)の物資を宿場から宿場へ運ぶ役目があるのですが、この伝馬の仕事は自費でまかなわれます。
やっていけなくなった伝馬役は夜逃げするしかなく、200軒もの伝馬役が減っていきました。当然、それらの負担は残った者に課せられます。
このままだと町がつぶれてしまうと誰もが危惧しながらも、どうしようもありませんでした。
明和三年(1866年)。
町一番の切れ者・菅原屋篤平治が京都から戻ってきました。菅原屋は京都で茶の勉強をして、名門・九条家の茶の命銘(お墨付き)を賜り、若い嫁も貰って帰ってきます。
菅原屋が京都へ行っている間に、吉岡宿はますます寂れていました。このままだとやっていけないと思いつめた穀田屋十三郎が、訴状を持っているのを菅原屋は押しとどめます。
「何かよい考えはないか」と十三郎に聞かれた菅原屋は、考え込みました。「頑張る」と答えたものの、具体的に何をと言われれば、「…商売を…」としか答えようがないのです。
金貸しの浅野屋甚内に銭を返しに行った菅原屋は、ふと気づきました「利息でござる!」。
つまり伊達の殿さまに銭を貸して利息をもらい、その銭を伝馬役に回すというものです。
そもそも伝馬がきついのはお上が金に困っているからで、銭が必要らしいのです。年に1割貰えれば、毎年100両ほどになり、じゅうぶん伝馬を経営していけます。
しかしそのためには千両もの大金が必要でした。現在の3億円です。
ひとりが千両を負担するのは無理でも、同じ志を持つ仲間が10人いれば、ひとりあたま500貫文(それでも3000万円)ですみます。利息は全て伝馬に回すことにします。ボランティアです。
〝己のことより宿場のこと〟をモットーにし、菅原屋と十三郎はひそかに作戦を練り始めました。というのも、これが殿さまにばれたら、下手すると首が飛びかねない(死罪)からです。
十三郎の叔父・十兵衛にも話を通しました。これで3人です。
ただしふと考えたのです。秘密にするより、上の者を巻き込んでしまえと。
そこで3人は肝煎(町の世話役)に訴えました。話を聞いた遠藤幾右衛門は感激し、自分もぜひ参加させてくれと言います。これで仲間が4人になりました。
この調子でと、さらに大肝煎に話を通しに行きます。村の代表が肝煎ならば、約40ほどの村を束ねる世話役が「大肝煎」です。
千坂仲内は「近頃の民は己が得になることばかり、なのにあなたたちはなんという…」とまたまた感激し、仲間に入ることになりました。これで5人です。

【承】- 殿、利息でござる!のあらすじ2

さてその頃、仙台藩の城主・伊達陸奥守重村は「従四位上・左近衛権中将(じょしいのじょう さこのえのごんのちゅうじょう)」という位が欲しいと思っていました。なんのことはない、薩摩藩主へのただの対抗心からです。
それには金が足りません。そこでおつきの財政担当・萱場杢は「借金などもってのほか。米を買いしめろ。米がなければ、銭を造れ」と言います。
明和五年(1768年)。
お上が金欲しさに銭を造り始めたので、メンバーは焦り始めました。インフレになりそうな気配…。
早く銭を用意して進呈しないと、どんどん金の価値が下がってしまいます。5人のメンバーは私財を投げ売って、金を用意し始めました。
それを見た遠藤寿内は最初夜逃げかと思いますが、金儲けの匂いを感じて彼らに近寄り「一口、いや二口乗らせてくれ」と囁きます。遠藤が金儲けではないと気づいた時には既に遅い状態でした。6人です。
みんなで揃えた金は3500貫文=2億1000万円です。あともう少し!
翌年、明和六年(1769年)。
ところで今までのメンバーは皆、中町の人たちです。吉岡宿には、上町、中町、下町があります。
このままだと中町の旦那衆だけの手柄になると飲み屋の女将・ときがそそのかし、下町のメンバーが焦りました。だれかおらんかと探し、早坂屋新四郎に言います。
ところが早坂屋はただいま、湯治場掘りに熱中していました。そちらにお金をかけており、出せないと言います。
上町の善八が、未亡人の女将への結納金と勘違いして、百貫持ってきました。後日誤解は解いてとりあえずは受け取りますが、その際に女将・ときは十三郎に「後添えに貰ってくれるのか」と聞き、十三郎は目を白黒させます。
そんな時、金貸しの浅野屋が「500貫文出す」と言い出しました。浅野屋は守銭奴として知られており、誰もが驚きます。
十三郎と浅野屋は因縁がありました。十三郎と浅野屋は実の兄弟なのです。兄の十三郎が7歳の時に養子に出され、実家の金貸しの浅野屋は、弟である甚内が継いでいました。
十三郎はこれをコンプレックスに思っており、弟が入るなら自分が抜けると言い出す始末です。名を売りたいわけではないから、金はそのままでいいので、とにかく名前だけ外してくれと、菅原屋に言いました。
翌年、明和七年(1770年)。
足りない分もさらに出すと浅野屋が言い出し、三両揃えます。浅野屋だけで1500貫文(9000万円)の出費でした。
皆でつつしみの掟を交わしたのち、お代官の橋本権右衛門に提出します。橋本権右衛門は口添え状(紹介状)を添えてお上に出しました。
ところが…やっとこさお金を用意したのに、財政担当の萱場杢は「却下」と一蹴します。「徳取勝手じゃ」の一言です。話にならないというのです。

【転】- 殿、利息でござる!のあらすじ3

メンバーは弱気になったものの「何度も挑戦しよう」と言いました。いずれ侍になりたいと思っている大肝煎の千坂は「私にも立場がある」と弱腰ですが「どういう立場か」と菅原屋が問い返します。
翌明和八年(1771年)。
深夜の浅野屋に、不審な人影がありました。見つけた男は泥棒だとわめきます。
入ろうとした男は忠兵衛と言い、かつて宿場から夜逃げした男でした。
夜逃げの最中、先代の浅野屋に現場を見つかったのですが、先代は「借金は返さなくてよい借金のことも忘れなさい」と言い、さらに金もくれました。「あんたはよく頑張った。夜逃げをしなければならなくなったのは、あんたが悪いのではなく、世の中の仕組みのせいだ。決して、卑屈になるな」という声をかけてくれたそうです。
忠兵衛は15年経過してやっと金が貯まり、その時の元金だけでも返そうと足を運んだのですが、先代は7年前に亡くなっており、現在の当主は「帳消し」と言い、受けとってくれませんでした。
そこで忠兵衛は、せめて家の中に銭を置いていこうと考えて、家に忍び込もうとしていたのです。
先代の浅野屋と現在の浅野屋は守銭奴として知られていますが、どうも現実はそうではないのではないか…民は気づきます。そういえば金貸しの取り立てが厳しいのは、すべて「金持ちの旦那衆に対してのみ」であって、一般の人には金の催促をしたことがないのです。
ばれてしまったので浅野屋は正直に話します。
実は「殿さまに金を献上して伝馬の役目を減らしてもらう」という作戦を、先代の浅野屋がすでに考えていたのです。そのために先代の浅野屋は「このことは決してよそに洩れぬように。どのようなそしりを受けようとも」と思いながらこつこつと金を貯めていました。
「誰かに褒められてやるようなものではない」ということばを聞いた菅原屋は、千坂に対して「あんたも元は百姓だろう。どっちを向いているんだ」と叱咤し、千坂も再度お上に提出するよう決意します。
また現在の浅野屋の目が悪く、身体も弱いことが知れました。身体の悪い者を養子に出すわけにはいかないと考え、そのために長男である十三郎が養子に出されたのです。それを初めて知った十三郎は、今まで父と弟のことを誤解していたと悟りました。
明和九年(1772年)。
千坂は何十年も前から計画されていたことを話します。親子二代にわたっての話と聞いた代官・橋本は嘆願書を書き直すと言い、萱場に持参します。萱場はスルーしますが、今度は橋本もストーカーばりに粘ります。
根負けした萱場は受け取りますが、「一点だけ書き直してもらう」と言います。「お上は銭を扱わぬ。五千貫というのを、金千両に書き替えろ」というのを条件に承諾しました。お上は銭を扱わぬ(金しか扱わない)というのが表向きの名目です。 この映画を無料で観る

【結】- 殿、利息でござる!のあらすじ4

一時は喜んだメンバーですが、すぐに萱場にしてやられたと気づきます。藩が銭を造ったため、相場が変動しているのです。
つまり現在の金千両に換金するには、五千八百貫必要なのです。4800万円ほど不足します。
残りも更に浅野屋が出すと言い出し、菅原屋と十三郎が止めます。これ以上金を出すと、本業の造り酒屋がつぶれてしまうとアドバイスしますが…もう既に酒屋の商いは止めていました。千両の残りの金を出した時点で、作り酒屋はつぶれていたのです(萱場が米を買い占めたので、材料となる米が手に入らなかったという事情もある)。
早坂屋も少額ながら出し、飲み屋の女将が今までのツケを回収して足しにし、十三郎の長男が三浦屋に奉公に出て、十年分の給金を前借りして差額分を手に入れました。
翌年、安永二年(1773年)。(←明和九年は11月に改元。安永元年は2か月弱しか存在しない。)
千両をお上に献上しました。銭を献上した9人は褒美金として金二両二分(75万円)もらいます。
表彰の席に浅野屋がいないことを問いただした萱場に「目を悪くしており」と答えると、
「駕籠と馬を用意しておったろう」と指摘されます。
浅野屋の兄・十三郎が家訓として幼い頃から聞かされていた、冥加訓(みょうがくん)の教えをそらんじます。
「人は万物の霊長。牛、馬を苦しめ、その背に乗るのは慎むべし。駕籠こそ論外。人が人の肩を苦しむることにあらず、よくよく慎むべし」
それを聞いていた萱場は「この藩で最も駕籠を使うのは誰か、知っておろうな(答えは「殿さま」)」と言い、失言をしたとメンバー全員がちぢこまっているのを見つつ、ふんと鼻を鳴らして立ち去りました。おとがめなしです。
褒美の金も浅野屋は町に配るつもりでしたが、宿場の者たちは拒否します。
さて、思わぬできごとがありました。造り酒屋がつぶれた浅野屋のところへ皆が集まっていると、そこへ殿さま・伊達陸奥守重村が現れたのです。
「駕籠にも馬にも乗らぬと聞いて、こちらから会いに来た」と言う伊達城主を見て、皆はひれ伏します。
殿は、浅野屋の造り酒屋に「店を潰すこと、まかりならん(許さん)」と言い、「春風」「寒月」「霜夜」の命銘(お墨付き)を与えました。ブランド名をもらったので、売れること間違いなしです。
殿は城まで歩いて帰ると言いました。
仙台藩は約束を守りました。藩から利息が支払われることによって、伝馬の負担は大幅に減ります。
この一部始終を見ていた龍泉院の住職・栄洲瑞芝は、事の顛末を後世に伝えるため「國恩記」を記しました。
浅野屋はその後、酒が飛ぶように売れて、店はつぶれずにすみました。千坂はその後、念願の侍となります。
菅原屋は茶を作り、その茶は黒川郡の名産となります。また相変わらず宿場に騒動が起きると、交渉役としても活躍しました。
この利息は40年間払われ続けましたが、藩の勝手により反故(ほご なかったこと)にされます。しかし四代目早坂屋が救済のために金を出し、伝馬の待遇は変わりませんでした。早坂屋といえば、当時湯治場掘りに夢中で金を出せないと言った家です。
十三郎はその後、ときを後添えに貰った…かどうかは分かりません。この騒動の4年後に、十三郎は亡くなりました。
時代は流れて現在…まだその穀田屋酒屋は、現代も営業中でした。

みんなの感想

ライターの感想

すべり出しはコメディ…なんだけど、後半ははっきりいって「ヒューマンドラマ」。人情もの。
それをナレーションの濱田岳が、のほほーんとした声で、判りやすく説明してくれている。
だから時代劇とはいっても、難しくはない。
ところで最後の最後に殿さまが出て来た時は、びっくら仰天。
まさかフィギュアスケート選手の羽生結弦が特別出演していたとは! そうか、仙台出身だったか! なるほど!
羽生選手の演技も違和感なし。見ごたえありの映画。

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