「沈黙サイレンス」のネタバレあらすじ結末

沈黙-サイレンス-の紹介:17世紀末、キリシタン弾圧下の日本に布教に訪れたポルトガル人神父の苦悩と生涯を描き第2回谷崎潤一郎賞を受賞した遠藤周作の長編小説「沈黙」の映画化作品。監督/脚本は「タクシードライバー」「最後の誘惑」のマーティン・スコセッシ。共同脚本は「ギャング・オブ・ニューヨーク」でもタッグを組んだジェイ・コックス。主演は「アメイジング・スパイダーマン」「ソーシャル・ネットワーク」のアンドリュー・ガーフィールド。共演は「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のアダム・ドライバー、「シンドラーのリスト」のリーアム・ニーソン。切支丹役に塚本晋也、笈田ヨシ、窪塚洋介など、奉行井上筑後守をイッセー尾形、通辞役を浅野忠信が演じている。

予告動画

沈黙サイレンスの主な出演者

ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)、ガルペ(アダム・ドライヴァー)、フェレイラ(リーアム・ニーソン)、井上筑後守(イッセー尾形)、通辞(浅野忠信)、キチジロー(窪塚洋介)、モキチ(塚本晋也)、イチゾウ(笈田ヨシ)、モニカ(小松菜奈)、ジュアン(加瀬亮)など。

沈黙サイレンスのネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①日本に布教に行き消息不明となった師フェレイラ神父からの最後の手紙で酷い宗教弾圧を知った若き神父ロドリゴとガルペは、棄教したと噂される彼の救済と布教のため、マカオで出会った切支丹(日本人信徒)キチジローと共に日本に密入国する。②辿り着いたトモギ村では切支丹のイチゾウとモキチら信徒に匿われ、教義に対する意識の違いに戸惑いつつも司祭の務めを果たし、周囲の村にも切支丹が多く存在し赤貧に喘ぎ弾圧に怯える現実を知る。③やがて村は奉行井上筑後守により陥落、モキチはロドリゴに自作の小さな十字架を託し、イチゾウと共に水刑に散る。2人は分れて逃亡するも、ロドリゴは壊滅した五島でキチジローに密告され奉行所内の牢小屋で囚われの身となる。④神父殺害は逆効果だと知る井上奉行は、ロドリゴに通辞をつけ軟禁、彼の目前でガルペや切支丹らを殺害し棄教を迫る。キチジローは再々現れては告悔と裏切りを繰り返す。⑤井上奉行の差し金で再会したフェレイラは、穴吊りの拷問により棄教し、日本名を名乗り神を否定する書物を執筆、この国では神の概念が異なり教義は誤認され、信徒は歪んだ教義を信じお前のために死んでいると説得される。⑥絶望したロドリゴは穴吊りを望むが、奉行側は背教信徒を拷問、フェレイラに信徒の命か棄教かと迫られ、私を踏めと言う神の声を聞き棄教。⑦彼はフェレイラと共にキリスト教の禁制品の監視役に就き、与えられた日本名と日本人の家族と共に余生を過ごすが、召使となったキチジローの告悔を密かに聞く事も。⑧キチジローが禁制品所持の咎で捕えられ監視は一層厳しくなるが、ロドリゴは棄教を貫き仏教徒として生涯を終え荼毘に伏される。だがその手には妻が密かにモキチの十字架を握らせた。

【起】- 沈黙サイレンスのあらすじ1

暗闇に響く静かな虫の声。やがて真夏を思わせる蝉の大合唱となりますが、”Silence”という白い文字が出た瞬間無音となります。
「1633年、我々にもはや平安は無い。我々は”光の国”=日本も闇の日本も知らない…我々の布教は、迫害と圧迫、辛苦により潰えた…」
雲仙・普賢岳の熱水泉が湧きたつ岩場に数人の外国人神父が引き出されます。役人は押え付けたフェレイラ神父の目前で、彼らにお前らの神デウスは助けに来ないのか、棄教しろと迫り、穴の開いた柄杓で熱湯を掛けますが、彼らは主を讃える言葉を唱え続けていました。
「その光景は地獄そのもの。だが彼らは信仰の強さと内なる神の存在を示すため拷問を望みすらした。その勇気は潜伏する神父たちに希望を与える。怯える信徒たちを見捨てはしない。我々は神の愛の下、より強くあらねば…」
ヴァリニャーノ院長は、恩師フェレイラを追ってポルトガルから来た若き神父ロドリゴとガルペに、この手紙は数年かかってオランダ人貿易商から届いた、彼は棄教し日本人として暮らしているそうだと言い、反論する2人に、この手紙は激しい弾圧下で書かれ事態はさらに悪化している、布教が原因で数千人が殺され棄教した、彼の棄教は事実と断定すると言います。
2人は、ならばなおの事イエズス会への影響や棄教した彼の魂を救うため、早急に探しに行かねばと食い下がり、ついに「これも神の御心、大いなる試練だ。君たちは日本に渡る最後の神父”2人の軍隊”だ」と訪日を許可されます。

1640年5月25日。2人はマカオで日本に密入国するための中国船を手配し、現地でただ1人と言われる日本人キチジローを紹介されます。それは漂流中ポルトガル船に救われたという酔いどれで、英語で長崎の猟師だと言い、俺は切支丹じゃない!切支丹は長崎で殺される!と怒り怯えていました。けれど、協力するなら金を払うというと、家族がいる日本に帰りたい!連れてってくれとすがります。ガルペは彼を軽蔑しますが、ロドリゴは”全ての創造物に福音を伝えよ””我が子羊を牧せ”という主の言葉を思い出します。
3人は中国船から小舟に乗り換え上陸、海辺の洞窟でキチジローを見失い怯えますが、間もなく松明を持った老人と村人が現れ「神父様」と十字を切ります。彼らは隠れ切支丹で、英語でここは日本のトモギ村だと言い、2人を集会所を兼ねた村長イチゾウの家に連れて行きます。
彼らは貧しいながらも”秘密の教会”に属し、真夜中密かにミサをし、イチゾウは司祭役で礼拝と祝福の秘蹟だけは行っていると話し、干した小魚でもてなします。2人はその信仰と勇気を讃えます。
彼らは奉行の”イノウエサマ”に怯え、密告すれば信徒(切支丹)なら銀100枚、イルマン(修道士)なら200枚、司祭(パードレ)は300枚もの報奨金が出るため誰も信用できないと言い、他村とも交流せず、フェレイラ神父も知らないと話します。
ロドリゴは、イチゾウとモキチがわずかな食料すら口にせず「あなた方が我々の糧です」と涙ぐむのを見て、自らの十字架をモキチに与えます。

村人は彼らを山の中腹の炭焼き小屋に匿い、昼間は隠れ合図が無ければ地下の穴倉に入るよう言われ、夜は村に降り司祭の務めを果たすことに。けれどガルペは、日本語の方言の告悔が解らず、ある日、赤ん坊の洗礼を受けにきた若い女房に「皆は神様と共にパライソ(天国)にいるんですね」と言われ、「神は永遠に天国にいるが、皆はいない」と言い不快感を露わにします。
しかしある雨の日、長崎に行こうか、キチジローを差し向けようかと言い合いになり、たとえ井上が悪魔でも師なら闘うはずだ!と怒るガルペを見てロドリゴは苦笑し、晴れた翌日、久しぶりに日光浴をし自由に飛ぶ鳶を見て神の徴だと微笑みます。が、2人をじっと見つめる見知らぬ村人に気づき、慌てて穴倉に隠れます。
そのまま夜が来て、外からパードレ!と呼ばれますが合図は無くガルペは止めますが、ロドリゴは「我々は切支丹です、あなた方が必要です」という言葉で戸を開けます。
それは昼間の村人で、彼らに平伏し、わしらは五島の村人で信仰が揺らいでいる、子らにお二人が必要です、わしらの村にも来てください!と訴えます。その足は長旅で血塗れでした。またキチジローは同じ五島の出身で、8年前、井上様に責められ彼は踏み絵をしたが、家族踏めず全員殺された、けれど今も神を信じてると打ち明けます。
2人は五島に渡る決意をしますが村人に止められガルペは残り、五島にはロドリゴだけが向かう事に。

ロドリゴは夜明けに舟で五島にたどり着き、キチジローたちが嬉しそうに出迎え、早速司祭の務めが始まります。また彼を頼って近隣の信徒が集まり、フェレイラ神父を知る老信徒にも巡り合いますが、彼は迫害以前に長崎のシンマチに赤ん坊や病人の家を作り尊敬されていたがどうなったかはわからない、今は危険だから行かない方がいいと言われます。
ロドリゴは100人以上に洗礼を授け、告悔を聞き、信仰より形ある物を崇める彼らに戸惑いながらも、”信仰の徴(しるし)”として小さな藁の十字架や聖画のメダル、彼のロザリオの珠などを分け与えますが、キチジローだけは受け取りません。
浜で2人きりになった時、彼はロドリゴに、かつて井上奉行に捕えられ踏み絵を強要された際、彼自身は家族を思い棄教したが、家族は拒絶し全員生きながら火刑にされ、それを己の役割だと信じ見届けた酷い過去を打ち明け、「お許しください!俺は罪を侵しました!」と号泣して懺悔し、その一件でロドリゴは自身の役割と喜びを実感します。
そこにイチゾウが捕まったと知らせが入り、彼はキチジローと共にトモギ村に戻ります。
井上奉行は侍と共に村人全員を道に並ばせ、その前を縄を掛けられたイチゾウを歩かせ、他に切支丹はいないのか?と問い質します。
モキチは、これまでどんなに辛くとも年貢もきちんと納めて来た、わしらは皆仏様にお仕えしておりますと言いますが、侍は、捕まえたいのは切支丹とそれを匿う者だ、褒美をやる!と銀の袋を見せつけます。井上奉行は一旦イチゾウを解放、3日以内に返事が無ければ、彼とモキチの他2名を長崎に連行すると言い去って行きます。

その夜の集会では、ロドリゴたちは「役人は何度でも来るし村人全員が殺される、我々が出て行くしかない、皆で五島に逃げよう」と言いますが、モキチは絶対口を割らないから村に残って欲しいとすがり、一方キチジローは五島民として受け入れを拒否、パードレのせいだと非難する者、恩知らず!と罵る者など騒然とする中、イチゾウは「パードレはわしらが守る」と断言、わしとモキチはデウスに奉ずると言い同朋を募りますが、手を挙げたのはたった1人の若者だけで、残りはキチジローをよそ者、密告者と責め、彼に押しつけます。
翌日、志願者は炭焼き小屋に集まり、キチジローは怯え、モキチは村人を守るため踏み絵を踏んでしまうかもと迷い2人にどうすべきかを問い、ロドリゴは「踏め」と言い、ガルペは「踏むな」と言います。
祈り終えたモキチはロドリゴに、小さな木彫りの十字架を見せ「これはイチゾウ爺様のために私が作った物で、あなた方が来るまではこれが全てでした」と託し、返せる物が無いと嘆くロドリゴに「私は神様を愛してる、それは信仰と同じですね?」と言い、共に泣きます。

その後、侍たちがやってきて、村人たちの前で踏み絵を強要しますが4人とも従い切り抜けます。が、さらに大振りの磔刑像の十字架に唾を吐き聖母マリアを淫売と罵れと強要、それにはキチジローだけが従い解放されますが、イチゾウたちは拒否して捕えられ、村人らが見守る前で、激しい波が打ち寄せる磯で磔にされ、満潮により水死する水刑に処せられます。
イチゾウと若者は間もなく死亡しますが、モキチは4日間生き、先に逝った2人が天に召されるよう神に祈り、細い声で賛美歌を歌う凄惨な最期でした。3人の遺体は岩場で燃やされ、崇められないよう遺灰は海に捨てられました。
「”死は無意味ではない”とあなたは言われる。神は、祈りは聞くが叫びは聞こえたか?苦しむ彼らに神の沈黙をどう説明する?それを理解するため全ての力が要る」…ロドリゴは、ヴァリニャーノ神父にそうしたためて最後の手紙とし、2人は役人の山狩りを回避するため、舟でロドリゴは五島にガルペは平戸へと、分れ分れに逃亡する事に。
別れ際ロドリゴは、我々のために村人が死んだのに卑怯者の気分だと嘆くガルペに、彼らは”我々のために”死んだのではない(神に殉じたのだ)と励まします。
「ヴァリニャーノ神父…私の若さと疑念をお許しください。ミサや祈りの時に私とガルペを思ってください。忠実なる弟子より」…

【承】- 沈黙サイレンスのあらすじ2

五島では出迎える者は無く、彼は自分が”災いをもたらす異国人”だと実感しますが、それは島が無人の廃村と化していたためでした。
彼は、無人の村で己の役割に疑念を抱き、神の沈黙に困惑し怯えますが、やがて村を出て山に向かい、モキチの小さな木の十字架だけを支えに苦悩し人々の痕跡を辿りますが、眼下に見えた村に向かって駆け出した時、転がり落ちてケガをし、キチジローに助けられます。
ロドリゴはすでに2度裏切った彼を軽蔑し拒否しますが、彼はロドリゴを隠れ家に匿い手当をし、あなたを密告すれば銀300枚が出る、危険なのになぜ戻った?、休んだら近くの切支丹村に行こうと言い、魚の干物を食べさせます。ロドリゴは、裏切りを悔い俺のような弱い人間に居場所は無いと嘆く彼の懺悔を聞き、赦しを与えます。
翌日、森を歩くうち干物の塩辛さに体調を崩したロドリゴが喉の渇きを訴え、キチジローが川へと連れて行きます。川の中州で、ロドリゴは1人存分に水を飲み、水面に映る自分の顔がキリストに見え、狂ったように笑い出します。そこに役人たちが現れて捕まり、事態を知った彼は、向かいの川岸で赦しを乞うキチジローに眉を顰めます。役人は彼に銀を投げつけ、ロドリゴを引き立てて行きました。

彼は一旦山の中腹に連れて行かれ、他村で捕えられた5人の切支丹と出会います。
彼らはロドリゴを見て嬉しそうに微笑み、若い女は洗礼名のモニカを名乗って半切れのキュウリを差し出し、隣の男を雲仙で殺された我らの司祭のお名前を戴いたジュアンだと紹介します。
彼は静かに佇む彼らを見て平気なのか?!と取り乱し、祈りもせずキュウリを齧り謝ります。モニカはそれでも「ありがたや」と頭を垂れ、ジュアン神父は死んだら飢饉も病気も年貢も苦役も無い別世界、パライソ(天国)に行けると言ってたと言い、ロドリゴは「パライソには痛みも苦役も無くいつも神と共にいられる」と答えます。

やがて井上奉行がやってきて面倒を掛けるなとこぼし、くだけた話しぶりで、お前らがこちらの考えにほんの少し歩み寄れば済む、思案の時間をやるから途方に暮れるなと言い聞かせ、モニカたちを連れて行かせます。
そして流暢な英語でロドリゴに「百姓どもは愚かで何一つ決められんが、お前は、お前が棄教すれば彼らが解放されると知ってる」と言います。ロドリゴは「断われば殺すんだろう?殉教者の血は”教会の種”になる」と言いますが、彼は「我々は、殉死は信仰心を強めるだけで、司祭を殺すのは過ちで、百姓を殺せば事態が悪化すると学んだのだ」と言い、やるなら私を痛めつけろ!と怒るロドリゴに「お前が人の心を持つ真の司祭なら切支丹を憐れめ!お前の栄光の代償は彼らの苦しみだ」と言い捨てます。

ロドリゴは小さな小屋に入れられ、通辞(通訳)役の侍に、公平な尋問のために通辞が必要だと言われます。彼は、自分にポルトガル語を教えたカブラル神父やあなた方は我々を見下し、教えるだけで(日本の慣習を)学ばなかった、仏陀をただの人だと考えるのはキリスト教徒だけで、仏は人が煩悩を捨て悟りを得て到達できる存在だが、あなた方は迷妄に縛られ、それを信仰と呼ぶと語ります。
そして「仏陀は創造主ではないし、神の掟に従えば皆平和に暮らせる」と語るロドリゴに、「”転ぶ”という日本語を知ってるか?」と問います。
それは”落ちる、降伏する”の意で棄教の事だ、あなたが棄教しないと囚人が穴に吊るされ、あなたが”転ぶ”まで1滴づつ血を流すと言い、穴吊りされた幾人かの神父の名を挙げます。
彼は、フェレイラの名に反応するロドリゴにほくそ笑み、彼は今、日本名で日本人の妻がおり皆から尊敬されている、日本人の誰もが知ってると話しますが、去り際、日本語で「傲慢な奴だ、他と変わんねぇな、…てことは、奴ぁいずれ転ぶって事だ」とこぼします。

ロドリゴと切支丹たちは、鐘太鼓で囃されながら町中を引き回され町人たちに罵られ、彼は、惨めな殉教にしないでくださいと神に祈りますが、隠れて見つめるキチジローを見つけ、なぜついて来る?ついて来るな!と叫びます。
彼らは奉行所内に建てられた四方が格子の牢小屋、ロドリゴは個室、切支丹たちは大部屋に別々に入れられ衆目に晒される生活が始まります。彼は藁と飯粒でロザリオを作り、大部屋の切支丹の告悔を聞いたり、説教も許される平穏な日々が続き、”お前を見捨てはしない”と言う主の言葉を噛みしめます。
井上奉行の審問は、仏僧の十徳を着せられ、それぞれに通辞が付いて行われます。
井上側の通辞は穏やかな言葉で労をねぎらい、これ以上の苦痛を与えたくはない、キリスト教はそちらの国では正しい事だが、我が国には無益で危険な思想という結果に至った、どうか身を引いてはくれぬかと諭します。
けれど、ロドリゴは「我々は、国や時代を超越した普遍の真理をもたらしたのだ」と言い張り、「毒に冒される(弾圧)前には30万の信徒がいたのに」と言いかけて苦笑し、イノウエサマと直に話したい!と言い出します。一同は呆れ、井上奉行は苦々しい顔で「私が奉行の井上筑後守、イノウエだよ」と言い去って行きます。
ある大雨の日、牢屋の前で数人の切支丹が延々と穴掘りをさせられる中、「俺は騙されたんだ!銀のために裏切ったんじゃない!俺は切支丹だ!」と叫ぶキチジローが現れて取り押さえられ、大部屋に入れられます。
切支丹らは彼を警戒しのけ者にしますが、キチジローはロドリゴに告悔したいと言い、俺は迫害の時代に生まれた切支丹だから清いままでいられなかったと何度も詫び、自分は弱い人間なのだ、強くなるよう努力すると赦しを乞い、ロドリゴは侮蔑しながらも赦します。

ある日照りの日、モニカとジュアンを含めた5人の切支丹が牢から引き出され踏み絵を強要されます。役人は面倒そうに形だけでいい、かすめる程度でも即刻解放すると説得しますが、5人はロドリゴをすがるように見て一人も踏まず、ジュアン以外の4人が牢に戻されます。
けれど、ジュアンが手下の1人と話しているところにずかずかと介錯人が近寄り、手下がスッと身を引いた瞬間、一刀でジュアンの首を斬り落とします。
大部屋牢にはモニカの絶叫が響き、一部始終を見ていたロドリゴも愕然とし慟哭します。彼の遺体は先日彼らが掘らされていた穴に投げ込まれ、役人は「これが切支丹の行く道じゃ!」と言い手本として、褌一丁の痩せて薄汚れたキチジローを引き出し、踏み絵を命じます。
彼はおどおどと役人やロドリゴの顔色をうかがい、ひょいと絵を踏み追い出されます。

またある日、井上奉行はロドリゴを通辞と共に座敷に上げて茶を薦め、平戸に行って来たと話します。そして平戸の大名には4人の側室がいたが、嫉妬で争いが絶えないため4人とも追放し平和になったと話し、この話から学ぶべき事は?と聞きます。
そしてとても賢い人だと言うロドリゴに、大名は日本、4人の側室はイスパニア(スペイン)、ポルトガル、オランダ、イギリスで、奴らは利を求めて争いついには”大名家”を滅ぼす、大名が賢いと思うなら、日本が切支丹を禁じる理由が分るだろう?と言うのです。
ロドリゴは、教会は一夫一婦制だから大名は正妻を1人選んではどうか、それはポルトガルではなく教会だと言い、外国人ではなく日本人を妻にするべきだなと笑う奉行に、大切なのは国籍ではなく愛と貞節だと話します。
奉行はさらに、布教は醜女の深情け、石女(うまずめ/Barren:子を成せない女性)は正妻にはなれないと言い、ロドリゴは実を結ばないのはあなた方が教会と信徒を引き裂いたせいだと言い決裂します。
井上奉行は一瞬憤怒の表情になりますが一息置いて、世間はお前らの宗教を邪宗と言うがわしは別の見方をしておる、けれど危険な事には変わりないと言い席を立ちます。

ほどなくしてモニカたち数人の切支丹が無理矢理連れ去られ、続けて彼も着替えさせられモキチの木の十字架を腹巻に隠します。
連れて行かれたのは海岸の砂浜に設えられた見物席で、遠くの水際には一艘の小舟とモニカたち切支丹がいました。やがて通辞が現れ、今日は同じポルトガル人で会わせたい人がいると笑います。そこへガルペと数人の切支丹が現れ、取り乱すロドリゴに、あなたがここにいる事は言えないし、彼には”あなたが棄教し生きている”と言ってあると言われます。
モニカと信徒らは筵で簀巻きにされ小舟で海上に向かい、ガルペは浜辺に置き去りにされ「私を身代りにしろ!」と絶叫しています。
通辞はその様子を「侍は今、ガルペに棄教しろと言っている、奉行はあなたと同じく棄教すれば村人は解放すると言ったが、あの信徒らはすでに棄教した者たちだ…ああ、彼は棄教するんだろうか、棄教してくれ!」と大仰に解説し、棄教したなら今すぐ助けてやってくれ!と懇願するロドリゴに、百姓などどうでもいい、島々にはまだ信徒の百姓が数百人いる、パードレを転ばせ手本にする策だと言うのです。

船上では簀巻きの信徒が次々と海に投げ込まれ、手下はもがく彼らを棒きれで沈めます。ガルペは絶叫し、やがて舟へと泳ぎ出します。
「ガルペ!行くんじゃない!」…ロドリゴは手下に押さえつけられながらも全力で叫びますが声は届かず、投げ込まれたモニカは、泳ぎ着いたガルペと共に棒で沈められ息絶えます。
慟哭するロドリゴを、通辞は「無残な最期だ!幾度見ても不快だ!お前らは”キリスト教国日本”という身勝手な夢で、彼らに苦しみを押し付けた!デウスはお前らを通じて日本を罰してる!ガルペはまだ潔かったが、お前には何の意志も無い!司祭の名にも値しない!」と罵ります。
その夜は十五夜で、空には見事な満月が輝いていました。ロドリゴはジュアンやガルペを思って泣き、「我が神、なぜ私をお見捨てに?あなたは磔のイエスにも沈黙していた…完全なる沈黙だ…滑稽だ…愚かだ…馬鹿げてる」…そして「神は答えはしない…」と呟くと倒れて笑い嗚咽します。通辞はその様子をじっと観察し、さらに時を待ちます。

【転】- 沈黙サイレンスのあらすじ3

翌朝、通辞は絶望し抗うロドリゴを無理やり牢から引き出し、大きな寺院に連れて行きます。
2人は線香の匂いと読経に満ちた中庭の廊下に座り、通辞は誰に合うのか推量したか?、井上奉行の命ではあるが先方の望みでもあると話します。
目付役の老僧と共に現れたのは、和装のフェレイラでした。ロドリゴは泣きながらフェレイラ神父と呼び、再会できた喜びをかみしめ何か言ってくださいと言いますが、彼はこんな時何を言えばいいのだと目を伏せます。
彼はすでに一年ほどその寺に留まり、井上奉行の命で天文学の本を書いている、この国には豊かな知識がある、やっとこの国の役に立ててうれしい、充実していると話します。
けれど通辞は彼を沢野殿と呼び「顕偽録」というキリスト教の不正を暴きデウスの教えを反証する本も書いていると話せと促し、彼は諦めたように題名の意味は”欺瞞の開示、暴露”という事で、井上奉行にも良い出来だと褒められたと言います。
ロドリゴは泣き、真理を毒のように扱うとは!人の魂を歪めるなど拷問より残酷だと叫びます。
通辞は彼は今は沢野忠庵という名で、フェレイラと呼ぶのはお前だけだ、彼に仁慈の道を導いてもらうがいい、我を捨て人の心に干渉してはならん、仏の道もキリストも人に尽くすことを本懐とする点では似ているのだから一方に寄らなくてはいいではないかと諭します。
またフェレイラは彼に耳の後ろの傷を見せ”穴吊り”の痕だと言います。それは耳の後ろに穴を開けて血を滴らせ、頭に血がたまり即死するのを防ぎ、穴の中に逆さに吊られて蓋をされ、滴り落ちる自らの血の音を聞きながら衰弱死するという拷問で、彼は井上奉行直々にその拷問を受け棄教したのです。

通辞は、お前はこの国最後の司祭だ、井上様は棄教すれば穴吊りは避けて下さる話の分かる方だと言い、フェレイラは、15年この国で布教したが、我々の宗教はこの国には根付かない、この国は沼地で苗を植えても根が腐るのだと説得します。
そして、葉を広げた時もあったじゃないかと言うロドリゴに、日本人が信じたのは歪んだ福音だ、我々の神など信じてはいない、そして抗うロドリゴが聖ザビエルの名を口にした途端、彼はこの国で”神の御子(サン/son)”を教えるため”大日”と教えた、”大日”とは”太陽(サン/sun)”の事で、イエスは3日目に甦るが日本では毎日”(神の御子=)太陽(sun)”が昇る、彼らは自然の中にしか神を見いだせない、人間を超えるものは無い、キリスト教の神の概念が持てないのだと話します。
ロドリゴは、泣きながらこの国で見た殉教者は皆信仰に燃えていた、彼らは”無”のために死んだのではないと訴えますが、フェレイラは、「彼らはキリストの神のために死んだのではない、お前のために死んだのだ」と言い、”山河を改む”=山河は変わっても人の本性は不変だ、我々は人の本性を日本で見出した、それが神を見つける事だと諭し、情けない!恥さらしだ!もう神父とは呼べないと罵るロドリゴに、私には死刑囚から継いだ日本名があり妻子もいる、それで結構だと言い去って行きます。

ロドリゴは穴吊りを望み、ある日強力の者が来て彼を縛り上げ、再び町を引き回されますが、辱めは私に勇気を与える!と強がる彼に、通辞は「善人のお前は苦しみに耐えられん。井上奉行は今夜お前が棄教すると言った、フェレイラの時も言い当てた」と囁きます。
彼は四方が塞がれた牢部屋に入れられ、柱に刻まれたポルトガル語の聖句を指でなぞり、ゲッセマネの園でのイエスの苦悩を思い祈りを捧げますが、周囲から聞こえる酷い呻き声に堪えられず耳を塞ぎます。そこに再びキチジローが来て赦しを乞いますが役人たちに追い出されます。
騒ぎが収まると、呻き声はさらにひどくなり、彼は堪え切れず格子を叩き、誰かが苦しんでるのに見張りは犬のように鼾をかいてる!助けてやってくれ!と訴えます。

やってきたのは通辞とフェレイラで、彼は「あれは鼾ではなく、穴吊りされている5人の信徒の声だ」と言い牢に入ってきて、”ラウダーテ エウム”=「讃えよ、主を」柱の文字は私が石で彫ったものだと言い、「お前は私と同じだ。自分をゲッセマネのイエスに重ねているだろうが、穴の5人は己をイエスに重ねたりはしない!お前に彼らを苦しませる権利があるのか?!」と口説きます。
ロドリゴは悪魔の囁きだ!と怒鳴りますが、フェレイラはさらに「彼らを救えるのは祈りか?だがその見返りは彼らのさらなる苦しみだ、私も祈ったが役に立たん、私もここで彼らの呻き声を聞き意を決した、止められるのは神ではない、お前なのだ」…彼は、嗚咽し耳を塞ぐロドリゴに「さあ、祈るがよい。目を開けて祈れ」と言います。
庭に引き出されたロドリゴは、フェレイラの言葉を理解し、言葉を失います。

そこには5つの穴にズダ袋に入れられ逆さに吊られ、苦悶の声を上げる信徒たちがいました。
フェレイラが「彼等は助けを求め、お前は神に祈る。神は沈黙するが、お前は?」と問いかける隣でロドリゴは「棄教しろ!”転ぶ”!”転ぶ”!」と日本語で絶叫しますが、彼らはすでに何度もそう言ったが、お前が棄教しない限り救われないと言われます。
そしてフェレイラは「司祭はキリストにならうと言う、キリストがここにいたら…彼らを救うために棄教したはずだ」と言い、彼の肩を抱き「今まで誰もしなかった最も辛い愛の行為をするのだ」と呟き、キリストのレリーフを彼の前に置きます。

ゆっくりレリーフに歩み寄るロドリゴの耳から全ての音が消え、神の声が聞こえます。
「それでよい。踏みなさい。私は人々の痛みを分かつためこの世に生まれ、十字架を背負ったのだ…お前の命は私と共にある…踏みなさい…」ロドリゴは、レリーフに足を乗せ、地べたに突っ伏して肩を震わせます。
フェレイラは屋敷の中から様子を見ていた井上奉行に一礼してロドリゴの肩を抱き、通辞は信徒を上げるよう合図し、それぞれの信徒から安堵の息が漏れ聞こえます。
遠くで一番鶏が時を作り、蝉が鳴き始めます。

【結】- 沈黙サイレンスのあらすじ4

(※ここからはオランダ貿易会社の医師ディーター・アルブレヒトによる背教司祭のその後を記した見聞録となります)
それは1641年の事。ロドリゴはしばらくの間、町人の家で暮らし”転びの神父”と揶揄されますが、やがて井上奉行の下、フェレイラと共にキリスト教にまつわる禁制品の監視役を務めるようになります。
当時欧州で唯一貿易が許されたオランダからの輸入品、十字架や聖画、聖像、ロザリオ、またそれらを想起させるものは全て2人に厳しくチェックされ、暴かれた者は役人に捕まり咎を受けますが、2人はひるまず無表情に黙々と任務を遂行していました。
同朋の外国人にすら蔑まれる苦役に、時おりフェレイラは「”我らを軽蔑する者を愛せ”」「心を裁けるのは”主”だけだ」と漏らし、往なすロドリゴに「聞き違いだ」と呟きます。
フェレイラ亡き後もロドリゴは完璧に職務をこなし、彼なりの平安を得たかに見えました。
やがて彼は井上奉行に、江戸で死んだ岡田三右衛門の名を継ぎ、その子持ちの妻をめとるよう勧められます。また奉行は、五島や生月(いきつき)にはいまだ切支丹と称する百姓がいる、すでに根が絶たれているので、お前も切支丹でいても構わんと言いますが、彼は「沼地には何も育たない」と断ります。奉行は彼ににじり寄り、お前らが持ち込んだ宗教は得体の知れぬものに変わった、日本はそういう国なのだと言い、お前はわしに負けたのではない、日本というこの沼に負けたのだ、「歓迎する(Welcome to Japan)」と言います。

ロドリゴは妻子が暮らす江戸に移り、時折やってくる井上奉行の使者の求めに応じ、棄教した誓い”転び証文”を書く毎日を送ります。またその傍らには召使となったキチジローもいて、何くれとなく彼の世話を焼いています。
ある日彼は改まって、キチジローに「いっしょにいてくれて、ありがとうございます」と日本語で礼を言います。キチジローは戸惑い恐縮しますが、彼をパードレと呼び告悔を聞いて欲しいと言い出します。
ロドリゴは慌てて窓を閉めて声を潜め、私は背教司祭だ、絶対できないと拒みますが、キチジローは「あなたを裏切り、家族を裏切り、主も裏切った、私は今も苦しんでる」と必死に手を合わせ頭を垂れ、すがります。
ロドリゴの心に「私はお前と共に苦しんだ…沈黙していたのではない」という声が聞こえます。彼はキチジローの頭にそっと手を置き「分っています。でもたとえ神が沈黙していたとしても、私の人生は全て、あの方について語っていた。沈黙の中で、私はあなたの声を聞いた…」と英語で語り、キチジローの肩に手を乗せ額を寄せます。
それでも井上奉行による踏み絵は定期的に行われ、ロドリゴやその家族、キチジローも繰り返し試されます。が、1667年の検査で、キチジローはいつも通り踏み絵を踏みますが、首に下げた守り袋の中から小さな聖画が見つかり捕えられます。

ロドリゴの監視は一層厳しくなりますが、1682年に亡くなった際には、”最後の司祭”岡田三右衛門(ロドリゴ)は、言葉でも徴(しるし)でも2度と神を認めず、その名を口にせず、祈らなかった、彼の信仰はとうの昔に消え去ったと言われていました。
その葬儀も役人の厳重な監視の下行われ、木の棺桶に両手を組み、座した形で納められた彼の遺体に触れる事が許されたのは妻だけで、彼女はその胸元に仏教式の守り刀を持たせます。彼女が刀と共にそっと何かを忍ばせた事には誰も気づきませんでした。妻は無言で泣いた様子も無く、出棺の際には無表情に彼の茶碗を割り、両手を合わせ見送ります。
葬列は、棺の担ぎ手と前後に2人の侍がつき、僧侶の経に合わせてしずしずと進み、彼は戒名を与えられ薪の上で荼毘に伏されます。
「ロドリゴと呼ばれた男は、背教者として、彼らが望む最期を迎えた…だが彼の心については、神だけが知っている」
彼の妻が最期にその手に握らせたのは、時を経て一層小さく丸くなったモキチの木の十字架でした。十字架は彼と共に明るい炎に照らされ、輝いているように見えました。

--日本の信徒と司牧者に捧ぐ〈神の より大いなる栄光のために〉--

暗闇に再び虫の声が響きます。それはやがて降るような蝉の声になり、羽虫や雨音や波の音など様々な音が聞こえますが、エンドロールが終わっても暗闇のままでした。

みんなの感想

ライターの感想

冒頭の雲仙の熱湯拷問や水刑シーンもショッキングですが、一番きついのはジュアン(加瀬亮)の斬首シーンで、その首無し遺体から流れ出る血が赤い線を描いて運ばれるシーンは静謐であまりにも美しく、その直後、見本だと引き出された痩せこけて汚い褌姿のキチジローが、ひょいッと踏み絵をした後追い出されるシーンで、不覚にも号泣してしまい。聖書の昔からユダは憐れですが、この黒目がちで人懐こくそれでいて深い心の闇を抱えるユダは格別でした。
昨今さらに著しさを増す、群れに盲従し有形物や人神様しか拝めない日本人の国民性を一方的に断罪するだけではなく、良くも悪くも個性として認める脚本には好感が持てるし、紙のような表情をした日本人妻(黒沢あすか)がそっとモキチの十字架を忍ばせるラストにも得心が行く作品でした。
159分と長尺ですが、画は美しく緊張感も途切れず、解りやすくかなり見やすい作品で、日本人が英語達者過ぎという評価もそれなりの設定があり、違和感は無かったです。
遠藤周作の原作は四半世紀以上前、存命中だった彼が狐狸庵先生ともてはやされていた頃一度読んだきりなので、もういっぺん読み直そうと思います。

映画の感想を投稿する

映画「沈黙サイレンス」の商品はこちら