「真田十勇士(2016年)」のネタバレあらすじ結末

ヒューマンドラマ

真田十勇士(2016年)の紹介:2016年公開の日本映画。天下の名将として知られる真田幸村が実は腰抜けの武将だったら?という仮想で描かれるユニークな戦国ドラマ。中村勘九郎が幸村をサポートする真田十勇士の中心的存在である猿飛佐助を演じるほか、同じく忍者の霧隠才蔵を松坂桃李が演じる。

予告動画

真田十勇士(2016年)の主な出演者

猿飛佐助(中村勘九郎)、霧隠才蔵(松坂桃李)、火垂(大島優子)、根津甚八&豊臣秀頼(永山絢斗)、筧十蔵(高橋光臣)、三好清海(駿河太郎)、海野六郎(村井良大)、三好伊三(荒井敦史)、真田大助(望月歩)、望月六郎(青木健)、由利鎌之助(加藤和樹)、仙九郎(石垣佑磨)、久々津壮介(伊武雅刀)、後藤又兵衛(佐藤二朗)、大野治長(奥田達士)、大野治房(渡辺慎一郎)、毛利勝永(坂東工)、長宗我部盛親(吉永秀平)、本多正純(多田木亮佑)、柳生但馬守宗矩(野添義弘)、徳川家康(松平健)、真田左衛門佐幸村(加藤雅也)、淀殿(大竹しのぶ)、ナレーション(松平定知)

真田十勇士(2016年)のネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①「知謀知略においては天下一の男」と言われた真田幸村は実は腑抜けであった。猿飛佐助は幸村と組み「嘘を真にしようと」勇士を集め始めた。こうして幸村の下に十人の勇士が集う。 ②大坂夏の陣で家康の首を狙った幸村は、勇猛果敢に死んだ。佐助たちは秀頼を連れて大坂城をこっそり脱出、薩摩に向かった。

【起】- 真田十勇士(2016年)のあらすじ1

慶長五年(1600年)。
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、その後幕府を開き、初代将軍となりました。
しかし大坂城は亡き秀吉の遺児・秀頼が健在であり、名実ともに天下を手中に収めんとする家康にとって、大きな障害となりました。
関ヶ原の戦いから十四年後、ついに家康はその牙を剥き、今まさに大坂に攻め込もうとしていたのです…。

(絵巻物からアニメーションに変化して)
深夜、村人のおみつを人質にとってたてこもった賊に対し、ある別の男が人質になると言い出しました。
人質になると言い出した男こそが、かの有名な真田左衛門佐幸村(さなださえもんのすけゆきむら)、真田幸村です。幸村は名刀村正を脇に置くと、人質になりました。
賊は不気味に思います。というのも幸村といえば『知謀知略に於いては天下(てんが)一の男』として有名だからです。
何を考えているのか分からないと思った賊は、早々に降参しました。
それに対し、幸村もぶっちゃけます。本当は幸村には何にも考えはないのです。
なのに幸村の武者振りの顔のよさで、周囲が勝手に思惑を深読みし、幸村の噂だけが独り歩きしたのでした。
それを聞いた賊…もとい、猿飛佐助は「面白い、ならば噂どおりに嘘を真にしてしまおう」と言います。
こうして猿飛佐助は真田一勇士となりました。

佐助の前に山賊が二人現れます。さらに上にもいました。
佐助は彼らも仲間にしようとしました。霧隠才蔵、三好清海、三好伊三です。
こういう手合いを仲間にすればよいと考えた佐助と才蔵は、由利鎌之助も仲間にしました。

(「※当作品はアニメ映画ではございません。数分後に本編が始まります」という字幕が、ピンポンという音と共にアニメにかぶさる)←「あれ、アニメ?」とちょうど不安になってきた頃

久々津の追手がやってきました(注:才蔵と佐助は「抜け忍」と言われる立場)。
二人を助太刀したのは筧(かけい)十蔵でした。唐辛子の粉で目つぶしをします(なぜかオネエキャラ)。
さらに幸村の実子・大助、剣術指南役の望月六郎もメンバーに加わりました。
さらに海野六郎という眼鏡の男を加え、これで真田九勇士です。
『真田九勇士』というタイトルが、ここで一旦出ます…。

…その頃、淀殿が幸村の挙兵を促す書状を送ってきておりましたが、幸村は紀州(和歌山)九度山におり、大坂に行くのを躊躇していました。
それでもいよいよ兵を出し、出陣します。

慶長十九年(1614年)、冬。
大坂城で開かれた会議では、幸村の頭上からイヤホンがおりてきました。天井裏に佐助と才蔵がおり、幸村に発言の指示をします。
天井裏で才蔵と佐助がうっかり「城南の備えが弱い」と発言したのを、幸村がそのまま皆に告げてしまいました。仕方なくフォローを入れるために、佐助が「南の平野口(南東に位置する場所)に真田軍が出城を築き、食いとめる」と告げます。幸村はその通り皆の前で宣言しました。
その頃、才蔵と佐助は再び久々津衆に狙われました。中には才蔵を慕う女性・火垂(ほたる)らもいます。
久々津壮介は「このいくさ、豊臣側に勝機はありはせぬ」と言って去りました。ちなみに、才覚のある才蔵だけに声をかけられ、お調子者の佐助は久々津衆にスルーされています。

【承】- 真田十勇士(2016年)のあらすじ2

一か月後。出城が完成し『真田丸』と名付けられました。
その当時、九勇士を騙っていた男が連行されます。それを知った佐助は男に「どうせだから十人目の勇士にならないか」と言いました。他のメンバーは驚きます。
しかし佐助が「九勇士だと語呂が悪い。十勇士の方が語呂がいい」と言うと、納得しました。「語呂」の意味が分からない三好兄弟だけは首を捻ります。
話はまとまり、根津甚八が十人目の勇士となりました。

(ここでやっと『真田十勇士』のタイトルが表示される)

慶長十九年(1614年)十月十一日。
家康は駿府(静岡県静岡市)を出発し、戦国時代に終止符を打つ天下分け目の大いくさをおこなおうとしていました。
豊臣勢の倍近い二十万の大軍勢を率いて、ここに『大坂冬の陣』の戦いが始まります。
家康陣営から戦いの火ぶたが切って落とされました。しかし真田方は応じません。
真田方は徳川軍をぎりぎりまで引きつけておいて、鉄砲を放ちました。投石作戦や、油を撒いて火薬で火をつける作戦もあります。
黒い鎧を着用した徳川軍と、赤い鎧の真田軍が入り混じりました。
先に兵を引っ込めたのは家康でした。初日は、真田軍の圧勝に終わります。
このいくさで、幸村の息子・大助が左腕を負傷しました。根津が大助に「負傷でしばらくいくさに出なくてすむ」とからかいますが、その根津はというと、いくさの最中に隠れていました。
幸村はいくさを楽観視していませんでした。徳川軍は、明日こそ本気で城を落としにかかってくるだろうと考えます。
才蔵のところへ火垂が来ると「なぜ私を連れて逃げてくれなかった」と詰問します。さらに、このいくさ、大坂方は絶対に勝てないと再び言いました。
才蔵は、「俺は誰にも殺されない。お前に殺されるまではな」と答えます。

夜明け。
緒戦で出鼻をくじかれた徳川は、いよいよ本気を出します。
飛距離を稼げる大砲を使い、攻撃を仕掛けました。
しかしその大砲部隊に真田軍が攻撃をしかけ、しりぞけます。
戦いは真田軍に有利でした。
ところが佐助が次の一手を仕掛けようと合図の爆裂弾を放った瞬間に、八丁目口にて火薬の誤爆が起こり、城に侵入を許してしまいます。
真田軍が助太刀に回ったので、徳川軍は撤退しました。
こうして『大坂冬の陣』は、大坂方の勝利に終わります。

会議では、徳川方から和議の申し入れがあったと話題になりました。その交換条件として、「大坂城の堀を埋めること」を挙げたそうです。
堀を埋めることは、城を危険にさらすことに他なりませんでした。会議は揉めますが、淀殿の一喝で和議を受け入れることが決定します。
才蔵と佐助の勇士たちの間では、誤爆の件が話題になっていました。爆裂弾と誤爆のタイミングが合いすぎており、味方の中に裏切り者がいるのではないかと根津が指摘したのです。

【転】- 真田十勇士(2016年)のあらすじ3

佐助は怒りますが、才蔵は「一考に値する」と根津の考えを評価します。
怒った佐助が言った「根津を仲間に引き入れたのは、秀頼に背格好が似ているから」というのを聞き、根津はショックを受けました。根津は去り、才蔵と佐助も口論します。

慶長十九年(1614年)十二月二十二日、徳川と豊臣の間で和議がもたれ、『大坂冬の陣』は正式に幕を閉じます。
明けて慶長二十年(1615年)、正月中には堀を埋めるすべての作業が終わりました。
秀頼は不安を覚えます。
その頃、久々津衆の火垂が才蔵に文を寄越しました。それを見た才蔵は、火垂がなぜ大坂方が勝てないかという理由を知ります。

慶長二十年(1615年)五月、再びいくさが始まります。
徳川軍は十八万の軍勢を率いてやってきました。
五月八日、『大坂夏の陣』が始まります。
後藤又兵衛が道明寺で討たれました。その知らせが、茶臼山にいる真田のところへ入ります。
厳しいいくさであることは、誰もが承知していました。佐助は、幸村にひと花咲かせてやりたいと考えます。
そこへ幸村がやってきて、息子の大助にすべてを打ち明けたと言いました。大助はそれまで、自分の父が天下に名高い宰相だと信じ込んでいました。
しかし幸村が考えていたのは、それだけではありません。
「明日本物になろうと思う」と言った幸村は、本陣を突っ切って家康と刺し違えたいと考えていました。
佐助は幸村の案をすごいと評価し、才蔵も勝機があると言います。
それを聞いた大助は、やはり父は本物であったと思いました。「父が果たせぬ時には代わりを務めてくれ」と父に言われ、嬉し泣きにむせびます。

それを聞いていた筧は用を足す振りをして席を立つと、スパイの仙九郎にこれ以上の情報はもう流せないと言い、これまでの金も返すと言います。
今まで情報を流していたのは筧でした。他の勇士にもバレます。
しかし佐助は「筧が通じていたことを嘘にしよう」と言いました。皆も「確かに九勇士だと語呂が悪いから」と認めます。

こうして夏の陣の決戦の日。
豊臣勢七万に対し、徳川軍は十六万の軍勢でした。
毛利とも話が通じており、真田軍はいくさが始まると、一目散に徳川めがけて走りました。
十勇士が幸村の周りを囲みます。
海野が倒れ、望月も絶命します。由利、筧も死に、幸村は馬印(うまじるし 注:本陣があるところを示す場所、これが見えると兵を率いる家康が近いという意味)の近くまで攻め入ったものの、大助が鉄砲隊にやられます。
幸村も息子と同じところで息絶えました。佐助は唇を噛みます。
この日、豊臣方は敗北を喫しました。徳川軍の勝利です。

【結】- 真田十勇士(2016年)のあらすじ4

幸村の最期の言葉は「秀頼様と、御方様(淀殿)をお守りするのだ」でした。佐助はそれを実行しようとします。

城の地下では残った勇士に対し、久々津衆が攻め込んでいました。
そんななか、淀殿に対し、才蔵が「家康と通じていやがった」と言いました。火垂に見せられた「勝てない証拠」は、大御所様からの密書です。
淀殿は、秀頼を助けてもらう代わりに、家康の敵となる武将を大坂に集め、まとめて叩きつぶせるよう画策していたのです。
幸村が最後まで大事に思っていた淀殿を助けたい佐助と、裏切った淀殿に復讐したい才蔵が反目し合いました。秀頼が倒れ、淀も死に、佐助と才蔵も共に討死します。
殺そうと思っていた抜け忍が共倒れしたのを喜んだ但馬守は、火をつけると立ち去りました。火垂は才蔵の元で共に死ぬつもりで残ります。
それはすべて芝居でした。みんな「死んだふり」をしていたのです。
本物の秀頼は薬で眠らせており、秀頼そっくりの根津が代役を務めました。淀殿に見送られながら、勇士は秀頼を入れた箱を乗せた舟に乗り、川に出ます。
淀殿はいくさで死んでいった多くの犠牲を思い、焼け落ちる大坂城と運命を共にすると言いました。淀殿の目に、迎えにくる幸村が見えます。
町民らの悲鳴と爆音の中、川を渡る小舟は進みます…。

こうして戦国の世は終わりました。
残った勇士たちは、四国を目指した後、最終的に薩摩へ行く予定です。
佐助はもの思う秀頼に、何を考えているのか聞きました。「薩摩といえば芋」と答える秀頼は、秀頼ではなく根津でした。
火垂が佐助に問い詰めます。火垂は才蔵からの伝言として「火垂が俺の女房にならねえかな。そしたらいつでも俺の命、狙えるのに」という言葉を言っており、火垂を味方につけていたのです。
真正面から問い詰められた才蔵は、火垂に「本当に言った」と言いますが、火垂は吹き矢を放とうとしました。
てんやわんやの舟の中、佐助が「本当にもう、何が嘘で何が本当なんだか」と嘆きますが、その顔は決して暗いものではありません…。

(エンドロール)紙芝居で描く、勇士たちのその後。
薩摩へ渡った一行は、桜島にて芝居小屋を完成させた。その目的は、もう一度勇士を集めるため。
現れたのは、亡くなった海野、望月、由利、筧らに似た漁師たち。さらに幸村、大助親子にも似た風貌の者たちが現れ、十一勇士に!
『嘘が真か真が嘘か』一座が活躍していると、徳川の刺客がやってきた。
一行は沖縄へ。そこで琉球唐手の達人が合流すると、今度は久々津衆の追手がやってきた。
一行は逃げてバタヴィア王朝(インドネシア)へ。そこでも王朝に解放する一派に狙われるが、武術(スタント)の一団に助けられた。
続いて上海へ渡った一行は、盗賊相手に戦う。青龍刀の豪傑が介立ちし、諸々集結し、真田十三勇士と火垂誕生!
そこで再び日本の天草に再上陸。天草四郎となった秀頼は1637年、幕府軍に囲まれて再び戦うのだった。

みんなの感想

ライターの感想

のっけからアニメーションで描かれるので、ほんとに「え、これ実写じゃなかったっけ?」とびっくりする。
不安になり始めた頃、字幕が入って笑わせてもらった。
この時代のことなので、確かにどこまでが史実でどこからがフィクションか、知ったことではない。
世に伝わる史伝など、勝者が勝手にねつ造した可能性だって否めないものだから。
そういうわけで、実は幸村は腰抜けだった設定、それはそれで面白かった。
最後には勇敢に討ち死にする姿にはほろりとくるし、エンドロールで紙芝居にてさらに大風呂敷が広げられてて、それに見入るのもまた一興。

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