「駆込み女と駆出し男」のネタバレあらすじ結末

駆込み女と駆出し男の紹介:2015年5月16日公開の日本映画。井上ひさしの時代小説を原案にした、大泉洋・主演のコミカルな時代劇。幕府公認の駆込み寺・東慶寺にある御用宿で聞き取り調査を行う男たちと、さまざまな事情を抱えた女たちを描く。

予告動画

駆込み女と駆出し男の主な出演者

中村信次郎(大泉洋)、じょご(戸田恵梨香)、お吟(満島ひかり)、戸賀崎ゆう(内山理名)、田の中勘助(松岡哲永)、法秀尼(陽月華)、お勝(キムラ緑子)、重蔵(武田真治)、風の金兵衛(中村嘉葎雄)、三代目柏屋源兵衛(樹木希林)、堀切屋三郎衛門(堤真一)、曲亭馬琴(山崎努)

駆込み女と駆出し男のネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①天保の改革・質素倹約令で庶民の暮らしに暗い影が差し始めた江戸時代後期。離縁を求める縁切寺・東慶寺があった。放蕩が過ぎる夫を持つ鉄練りのじょご、堀切屋の妾・お吟、道場目当てで無理に結婚させられた侍の娘・ゆうがいた。彼女らは寺にこもって離縁のため修行をする。 ②お吟は労咳にかかった自分の死に際を見せたくないため、愛する男の元を去って寺へ駆け込んでいた。お吟はひっそりと亡くなる。じょごとゆうは満願成就、離縁に成功、じょごは信次郎と共に江戸へ。

【起】- 駆込み女と駆出し男のあらすじ1

天保十二年(1841年)、江戸。
江戸時代後期の天保年間は、第十二代将軍・徳川家慶の下、老中・水野忠邦が「綱紀粛正と奢侈禁止」を命じた天保の改革があります。質素倹約令が世に言い渡され、庶民の暮らしにも影響を与えました。
世間では曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の完結が待たれていますが、お上の検閲が入ってなかなか出回りません。
鎌倉に、離縁を求める女たちが駆け込む、幕府公認の縁切寺・東慶寺がありました。
この時代は男尊女卑の色合いが非常に濃厚で、夫が妻を一方的に離縁することはできても、妻から夫に離縁を言い渡すことはできません。
そのため離縁を望む妻のために東慶寺が存在し、駆け込みをすれば東慶寺が問題解決に動いてくれます。
寺にはすぐに入れるわけではありません。まずは「御用宿」と呼ばれる寺のふもとの宿で事情を聴取し、夫への呼び出し状で示談に応じればそれで済ませます。
両者共に退かぬ場合(夫は離縁を望まず、妻は離縁を求める場合)のみ、東慶寺で二年の寺での修行を終えて初めて、離縁が成立します。その場合は夫は文句を言えず、離縁状を提出する義務が発生します。
…江戸、日本橋の豪商(唐物問屋)・堀切屋三郎衛門の妾(愛人)・お吟は、離縁を決意しました。堀切屋とお吟は入籍していませんが、東慶寺はそういう場合でも対処してくれます。ちなみに堀切屋には正妻はいません。
料亭・いさごで普段どおり堀切屋と接したお吟は、荷降ろしの様子を見てくると言って、そのまま駕籠を走らせて寺へ行きます。
ところでその堀切屋は、南町奉行の妖怪こと鳥居耀蔵に目をつけられていました(「妖怪」というのは仇名)。両ひじの先がない、玉虫という女性の密偵を忍び込ませ、探っています。
同じ頃、鎌倉の山の裏手にある七里ヶ浜で鉄練り(鉄工所)・浜鉄屋を営むじょごは、夫・重蔵の放蕩三昧に嫌気がさしていました。「風の道」を読む才に長けているじょごは、浜鉄屋に欠かせない存在ですが、顔半分が火ぶくれで人相が変わっており、夫・重蔵に「人三化七(にんさんばけしち ブスのこと)」と罵られます。
重蔵は昼間から酒を飲んでは遊女・星月夜を連れ込んでおり、じょごがいくら頼んでも離縁しませんでした。重蔵にとって必要でなくても、浜鉄屋にじょごの腕は必要だからです。
「山向こうの東慶寺に駆け込まれたら困るだろう」と星月夜が重蔵に言った言葉から、じょごは寺の存在を知りました。じょごは、地蔵に手を合わせて「六郷の崖で飛び降りか、東慶寺へ向かうか、それとも今来た道を引き返すか」と聞き、小判が左に落ちたので東慶寺に向かいます。
深夜に山越えしたじょごは、森の道に骨法(こっぽう メリケンサック、拳にはめて打撃力を強化するための武器)を見つけ、次に棒を見つけて不思議に思ったところ、女の笑い声が聞こえてぎょっとします。
見ると、森の中に女性・お吟が座っていたので駆け寄りました。
お吟は駕籠かきに森の中まで連れ込まれた後、襲われて大立ち回りをして追い払ったものの、足を挫いて動けなくなっていました。「追手がかかっている。手伝ってくれ」と言われたじょごは、山の上までおぶって移動し、農家で荷車を借りてお吟を乗せます。
お吟はじょごと異なり、東慶寺のことを詳しく知っていました。道中、離縁の手続きについて詳しくじょごに説明します。
二人は早朝に寺近くまで到達しました。もし御門番か御用宿の人がいれば、身につけている物を寺に投げ入れることで駆け込みが成立すると、お吟はじょごに言います。
その時、後方から走って来る男がいました。追っ手だと思ったじょごは急いで荷車を走らせますが、荷車は壊れてしまいます。じょごは男を殴って寺の境内にお吟の荷物を投げ入れ、駆け込み成就させました。
殴った男は信次郎という男で、追っ手ではありませんでした。信次郎はお吟が足を怪我しているのを見て、治療しようと思って声をかけたのです。 この映画を無料で観る

【承】- 駆込み女と駆出し男のあらすじ2

信次郎は江戸で医者見習い兼戯作者見習いをしていたのですが、江戸で質素倹約令を野次って問題となり、ほとぼりが冷めるまで親戚の元に身を寄せることにしたのです。信次郎は御用宿のひとつ・柏屋の主人・源兵衛(但し老女)の甥でした。
じょごとお吟は御用宿・柏屋で聴取を受けます。じょごの顔に火ぶくれを見た信次郎は治療を切り出しますが、警戒したじょごは拒否しました。
信次郎は「こんなにひどい火ぶくれを作るくらいだから、この人は我慢強い。だから亭主を前に言い返すこともないだろう」「相手の弱点を突いて逆襲するには、新しくなった顔が必要。治療でよくなった顔を出せば、相手も文句が言えまい」と言い、じょごは納得して信次郎の治療を受けることにします。
聴取の最中、柏屋に女侍が駆け込まなかったかと侍が騒動を起こしました。それを見て宿の少女・お種が怯えます。
お種の父は漁師でしたが、侍に刃向かってしかも侍の刀で斬ってしまったことから処分され、母は狂い死にし、お種本人も父の所業のせいで舌を焼かれていました。じょごは理不尽に思います。
侍・田の中勘助は帰りましたが、戸賀崎ゆうが柏屋に隠れていました。ゆうも駆け込みを決意します。御用宿では武士の妻女の駆け込みは認めてはおらず、身分を捨てねばならないと源兵衛は言いますが、それでもゆうの決意は変わりませんでした。
ゆうの父は剣術家をしており、病床に就いた父を安心させるためにゆうは婚約者・田所吉松と祝言を挙げるつもりでした。
ところがそこへごろつきの勘助が道場目当てに割って入り、田所を斬って無理やりゆうと祝言を挙げたのです。ゆうの父は心配しながら亡くなりました。
ゆうは侍という身分を捨てて寺に入る決意をします。
柏屋で曲亭馬琴の話になり、じょごの祖父が馬琴と親しいことを知った一同は吃驚しました。
じょごの夫・重蔵を調べていた信次郎は、重蔵から東慶寺の噂を聞きます。吉原女郎を匿っているという内容です。
帰って文書蔵にこもって資料をあさり、叔母・源兵衛に聞いた信次郎は、噂は事実だと知りました。
それはおせんという女で、十一歳の時に吉原の始末屋に売られて女郎となりましたが、実家の方ではおせんは神隠しに遭ったとされていました。
十年後、おせんの妹・おみつにおせんからの手紙が届いたことで、おみつは姉の生存を知ります。おみつは夫・今朝治に事情を話しました。
そして表向きは「おみつが今朝治との離縁のために東慶寺に駆け込み」ということにして、実際に寺に入っているのは姉の女郎・おせんです。
妹・おみつは駆け込み成就の間、行方をくらましています。晴れて東慶寺で離縁が成立した暁には、誰も知らない場所に行って三人で新たな人生を歩もうと決めていました。
(女郎に足抜けは通用しないので単なる時間稼ぎ。おせんが部外者立入禁止の寺に入ることで、女郎屋から捕まるおそれがなくなる。一般人のおみつが姿を隠して世間にいる方が、露見した時の危険性が少ないということ)
源兵衛や東慶寺の人たちはそれを承知で、本人たち(おせん&おみつ&今朝治)の強い意志を見込んであえて目をつぶっていました。特に今朝治に至っては、妻から離縁状を叩きつけられるという恥をしのんで協力しているわけです。
さて、各々の夫の元に呼び出し状がかかりましたが、堀切屋は顔を出さず、勘助と重蔵は赴きますが離縁を承知せず、お吟、ゆう、じょごの三人は寺に入ることが決まりました。二年お山で修行を積めば、離縁成立です。
堀切屋はお吟が寺へ駆け込んだことを、「脅しに使うつもりだ」と思い込んでいました。裏では盗賊まがいの商いをしていた堀切屋は、お吟が離縁状を叩きつけた後、自分を脅してくるのではないかと考えたのです。今後どこかで金の交渉があると踏んだ堀切屋は、お吟の出方を窺います。
東慶寺では法秀尼、通称・院代様が仕切っていました。法秀尼の下、二年間の修行を積みます。

【転】- 駆込み女と駆出し男のあらすじ3

江戸城、西湖の間、年の暮れ。
鳥居耀蔵はさらに出世していました。跡地の相模湾に江戸防衛拠点を作ることを考えて、鳥居耀蔵は東慶寺の取り潰しを考えます。
近江屋三八が花魁のおせんを帰せと柏屋に詰め寄りました。刀を振りかざして脅す近江屋に、信次郎は長啖呵を切って追い返します。啖呵はすべて信次郎の口から出まかせですが、一部は当たっていました。
その信次郎がある日寺に呼ばれます。お吟が血を吐き、寝たきりの寺の医者・清拙の代診でした。清拙の試験に合格した信次郎は、聴筒(聴診器)を持って出向きます。
とは言うものの、寺では異性と接触するのは御法度なので、法秀尼がすべて間に立って診察しようとしました。信次郎はその隙を突いてお吟を診察し、労咳(肺結核)と診断します。
里がなく宿下がりができないお吟は、できるかぎり寺で養生し、その後は御用宿・柏屋が引き取ることにしました。寺にいる間は、月に二回、信次郎が往診することになります。
信次郎はもう一人患者がいると言い、じょごの火傷の回復具合を診ようとしました。じょごは信次郎に文を渡して川べりで会うことを約束し、薬草園を作っていることと、お吟の治療の手伝いをすると言います。
お吟は寺に入った後、信次郎の影響で薬草の勉強を始めていました。
天保十三年(1842年)、江戸。
今朝治とおみつの離縁が成立しました。おみつとして寺に入っていたおせんに駆け寄ったのは、雨の日も風の日も休まず寺まで行商に来ていた、鯵(あじ)売りのおみつでした。
おみつ、おせん、今朝治の三人は予定通り、誰も知らない土地で生活を始めると言って立ち去ります。
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の完結編が発売されました。売れ行きはよく、皆こぞって買い求めているそうです。
鳥居耀蔵の締め付けが厳しくなり本業も裏稼業も傾き始めた堀切屋は、そろそろ退散しようと思っていましたが、その前にお吟の真意を確かめたいと思います。信次郎がつなぎ役に使えると踏んだ堀切屋は、信次郎を狙いました。
東慶寺では、じょごと信次郎がたびたび川べりで密会を重ねます。密会といっても「じょごはお吟の症状をつぶさに報告する」ものですが、じょごの進歩のめざましさに信次郎は感心し、惹かれていきました。
じょごはお吟が治ることを切望していましたが、信次郎は「よくはならない。本人も知っている」と告げます。
信次郎とじょごの密会を知るおゆきは、二人の密会を羨ましそうに見ながらも、露見しそうになるとかばいました。
診察の際に、お吟は「病状が悪くなったら柏屋に降り、枕元で八犬伝の完結編を朗読してもらいたい」と信次郎に話し、他言無用と前置きして「東慶寺に来た本当の理由」を話します。
信次郎が堀切屋の手下に拉致されました。拷問を加えられて、堀切屋に「お吟に何を頼まれた?」と聞かれた信次郎は「八犬伝の朗読」と答えます。
堀切屋はお吟をなんとかして取り戻したいと考えていました。駄々をこねる堀切屋に、手下もあきれるくらいです。それを見て、やっと信次郎がお吟の真意を口にしました。
お吟は堀切屋を深く愛しており、死の病・労咳にかかったことを知って、愛する堀切屋に死に際を見せたくなくて、東慶寺に入ったのです。
「お吟は『あだっぽさ』、『あだ』にこだわっている」と言った信次郎は、「眉、目、鼻、口、顎、どこにも強味(きつみ)と渋味がついた男は堀切屋だけだ。その惚れた男の涙は、百年の恋も冷めてしまう」とお吟の言葉を復唱し、真意を知った堀切屋は男泣きしました。
堀切屋のところには、幕府の手が入る直前でした。
堀切屋は手下たちに「ありったけの宝を持って逃げろ。ついて来たい奴は来い」と言い、信次郎にも宝を持って逃げろと言います。抜け穴は鎌倉に通じているとも告げました。
信次郎は錘重(すいじゅう 垂直方向を知るための、逆円錐形のおもり)を貰って逃げ、堀切屋と手下たちは、信次郎が逃げる間の時間稼ぎに、同心と捕り方に立ち向かいます。押されますが、退きませんでした。 この映画を無料で観る

【結】- 駆込み女と駆出し男のあらすじ4

じょごは寺を出たら「長崎へ行きませんか(当時長崎はオランダとの貿易拠点、信次郎は蘭学・医学の勉強をしたい)。薬草日記を交換する夫婦(めおと)がいてもいいのかと」と信次郎に求婚されました。
男と会っているという噂が立ち、じょごは寺の女たちにいじめられますが、頭突きでやり返しては相手の怪我を治療します。
夏の衣替えの最中、おゆきが倒れました。信次郎が診察に呼ばれ、蜂蜜浣腸をすることになります(明言されないが、おゆきは便秘で倒れた)。
例によって法秀尼が出てきますが、浣腸はさすがに辞退して、蜂蜜を塗った信次郎の指を菊の門(肛門)に導く役をしました。その際、誤って一度膣の方に指を入れてしまいます。
一ヶ月後。おゆきが妊娠する騒動が起きました。信次郎は精神の病、想像妊娠だと思いますが、周囲には信次郎が嫌疑をかけられます。
その噂を聞いた鳥居耀蔵は、東慶寺を取り潰す好機ととらえ、密偵・玉虫を寺へ送りこませて噂の真偽を確かめさせました。
柏屋の源兵衛は玉虫を密偵と看破し、法秀尼は疑うことを知らない人物なので代わりに目を光らせてくれと、じょごに頼みます。
二日後に大審問が開かれました。清拙和尚はじめ、寺の皆のいる前での診察です。
信次郎が現れると法秀尼は女性らに「つむり(頭)を伏せなさい(法秀尼が信次郎が現れる度に女性陣に言う)」と言うと、おゆきに信次郎を誰何しました。おゆきは「蜂蜜浣腸の先生」と答え、女性らの間に笑いが洩れます。
おゆきの夫・徳治はおゆきの家の相模屋に婿入りしたものの、酒癖が悪いバクチ好きの男でした。相模屋が婿を離縁したくて、おゆきは寺に入っています。
今でもおゆきは徳治を恋しく思っていると看破した信次郎は、子を宿せば離縁がなくなると思い詰めて想像妊娠したのだと推論しました(直接の契機は一ヶ月前の蜂蜜浣腸の折、膣への指挿入だと思われるが)。
「子を宿すことはできない」とおゆきに何度も言い聞かせると、おゆきの腹はひっこみます。
法秀尼はおゆきの気持ちを汲み、二度と酒を呑まないと婿の徳治に誓わせて、もし呑んだら即離縁という「先渡し禁酒離縁状」という措置を取ることにしました。騒動は終結します。
大審問の間に玉虫が座を抜け、寺の裏の隠し部屋に侵入していました。隠し部屋には禁書があり(法秀尼は隠れキリシタン)、それを知った同じく隠れキリシタンの玉虫は、山で一生暮らしたいと懇願します(密偵はやめる)。
天保十四年(1843年)、夏。
お吟は柏屋に降ります。お吟は去り際に「私の妹! べったべった、だんだん(本当にありがとう)」とじょごに呼びかけました。その後、信次郎に八犬伝を朗読してもらいながら、お吟は亡くなります。御用宿の外では鈴を持つ雲水(禅宗の修行僧)の堀切屋が唱名していました。
二十四ヶ月が経過し、ゆうとじょごは下山します。ゆうは仇討の気が失せ、諸国を巡って技を磨くそうです。
ゆうの夫・勘助は乱心して源兵衛や利平、石井を刺し、お種を人質にすると東慶寺に向かいました。じょごは棒で攻撃し、法秀尼が放った薙刀に切り替えて股間を攻撃し、倒します。
じょごは重蔵から離縁状を貰いますが、泣き落としで復縁を迫られました。信次郎ははらはらします。
じょごは信次郎に「長崎には行きません」と言います。「医者見習い、戯作者見習い、二年の人見(人間観察)は何だったのか」と信次郎に詰問しました。
医者をしながら、版元が多い江戸で戯作を書けと鼓舞し「江戸へ旅出つなら、じょごはお供させていただきます」と言ったじょごは、了承した信次郎を押し倒して唇を奪います。
旅立ちの日、信次郎を連れて曲亭馬琴の元へ行き、「今度はどんな男だい?」と聞く馬琴に「強味と渋味はちょんぼし(少し)だけど、素敵の男です」とじょごは言いました。
〝曲亭馬琴は失明後も口述筆記で執筆を続け、五年後の1848年に八十二歳で没した。辞世は「世の中の役をのがれてまた元に還るは天(アメ)と土の人形。
妖怪・鳥居耀蔵は1845年に失脚。明治維新まで二十三年間、讃岐丸亀藩預かりとなった。幽閉屋敷では薬草栽培をして、領民の治療を行なったという。
東慶寺の駆込み取り扱いは、1870年に終わった。救済された女たちの数は二千人を超えたと推定される。〟

みんなの感想

ライターの感想

じょごとお吟がメインの話だが、ほかにも「ゆう」「おせん&おみつ」「お種」「おゆき」「玉虫」など、いろんなケースがもりだくさん。
最初は早口の江戸言葉に戸惑うかも。そのくらい早い。ただ、すぐ慣れると思う。
原作である井上ひさしの『東慶寺花だより』は、小話ばかり寄り集まったもの。
読むと「じょごらしきモデル」「おせんとおみつ」などいるにはいるが、ほぼ原作とは異なる。信次郎は原作本では既に戯作者としてデビューしており、二作目を要求される身。
原作とどっちがよいかと言われたら、私は映画版を推す。そのくらいすばらしかった。
(劇中では「すばらしい」についても言葉のくだりがあるんだが、すみません、説明できずじまいだった)
時代背景を知っていれば楽しめるが、知らなくてもじゅうぶん楽しめる一品。

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