「ガイアナ人民寺院の悲劇」のネタバレあらすじ結末

ガイアナ人民寺院の悲劇の紹介:1980年製作のパナマ&スペイン&メキシコ合作映画。1978年アメリカの新興宗教団体<人民寺院>の教徒が、南米の小国ガイアナに移住し、同年11月18日に914人が集団自殺をした、実際に起きた事件を描いた作品。

予告動画

ガイアナ人民寺院の悲劇の主な出演者

ジェームス・ジョンソン教祖(スチュアート・ホイットマン)、リー・オブライエン議員(ジーン・バリー)、デイヴ・コール(ジョン・アイアランド)、リチャード・ゲーブル(ジョセフ・コットン)、ゲイリー・ショウ医師(ブラッドフォード・ディルマン)、アンナ・カザン(ジェニファー・アシュレイ)、スーザン・エイムス(イヴォンヌ・デ・カーロ)

ガイアナ人民寺院の悲劇のネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①ジョンソン寺院で多数の信者を誇るジョンソン教祖が1977年、信者を連れてガイアナ国のジョンソンタウンへ移住する。信者たちはその地で自給自足を始めたが、強制労働、粗食、生活水準の低い生活が続き、不満を洩らすと拷問が待っていた。 ②人民寺院が社会問題となり視察団がやってくる。議員らは脱出を希望する者たちを連れて帰ろうとするが、武装団に射殺された。教祖は視察後に信者に集団自殺を強要した。

【起】- ガイアナ人民寺院の悲劇のあらすじ1

〝この映画は1978年にガイアナで起きた実際の集団自殺事件に基づいている。
登場人物の名前は変えてある。〟
…1977年初頭。アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコのジョンソン寺院。
「子どもたちよ、この世の終わりは近い。私が皆さんを案内しよう。最後の審判の前に魂を清めるのだ」
教会の中でサングラスをかけた白い服の黒髪男性ジェームス・ジョンソンが、演説していました(注:史実では「ジム・ジョーンズ」)。話を聞いているのは信者たちです。
「私は神の生まれ変わりだ」と言ったジョンソン教祖は、アメリカに2000万人以上もの薬物に溺れた若者たちがいることを指摘して「魂を解放する場所まで、私が案内する」と言います。
こうしてジョンソン教祖は、信者たちをそれまでいたサンフランシスコのジョンソン寺院から、社会主義国・ガイアナ国に移住させました。
ガイアナ国は南アメリカにある国で、首都はジョージタウンです。
その当時の首相から2万7000エーカー(約10800ヘクタール=東京ドーム約2140個分)の土地を融通してもらい、そこに生活共同体を敷きました。
そして共同体には〝ジョンソンタウン〟という名称をつけます。
当時のアメリカの大統領夫人や副大統領、保健教育福祉省長官、カリフォルニア州副知事とサンフランシスコ市長などに手回ししました。
少しでも異を唱える者がいれば、信者によって拉致され、レールの上に放置されて「轢死」の形で始末します。
こうしてジョンソン教祖は、信者をガイアナに移住させました。
当時のジョンソン教祖の勢力は大きなものです。
ジョンソン教祖が手を口の前で結び、その後両手を広げる仕草は印象的でした。信者たちはジョンソン教祖の演説をいつもうっとりとした顔で聞き入ります。
カリフォルニア州・サクラメント。
リー・オブライエン議員の執務室では、ジョンソンの人民寺院を退会した男が翌日に轢死した事件を取り上げて、殺人だろうと目していました。
ジョンソンらはガイアナ国に移住しましたが、信者3万人を重く見た議員は、なんらかの措置を取らねばならないと考えます。
1978年初頭、ガイアナ国。
ジョンソンタウン、人民寺院の生活共同体では、自給自足の生活が行なわれていました。広大な敷地には木造のロッジ風の建物が数多く作られ、信者たちは畑を耕して生活しています。
外界からは完全に切り離されていました。情報なども入ってきません。
人民寺院ではサイレンが集まる合図でした。その日もサイレンで集まって来た信者に、ジョンソン教祖は「この数か月よくやった。皆で地上の楽園、約束の地を作った」とほめたたえます。
「それでもまだこの寺院のことを悪く言う者がいる。脱会者は敵だ。必ず不幸な目に遭うだろう」と、ジョンソン教祖は脱退した者をあしざまに罵りました。外部からジョンソンタウンが悪だとみなされているという被害者意識も、ジョンソン教祖には強くありました。
この頃から、警備の者を増やします。警備には銃を持たせて武装させ、夜間にも見回りを強化するようにします。
ジョンソンタウンで自給自足の生活を送り始めてから、ジョンソン教祖の独裁的な指導が非常に目立ち始めました。
ある雨の夜。空腹に耐えかねた3人の子どもたちが、食料庫に入ってあさっていた現場を見つかります。
マーク、サミュエル、トミーの3人の少年はそれぞれ縛られ、1人は大きなニシキヘビを身体に巻きつけられ、1人は水に沈められ、1人は股間を電流で感電させる拷問を受けました。
3人とも死にはしませんでしたが、このような拷問は日常茶飯事でした。 この映画を無料で観る

【承】- ガイアナ人民寺院の悲劇のあらすじ2

「私は自由市民です(外に出ようと思えば自由に出られる)」と信者に言わせておきながら、実際に外に出ることをジョンソン教祖は許しません。脱走を図った男は鞭打ちの刑に処されます。
過酷な労働、極端な粗食、逆らうと拷問…しかし不満を洩らすとまた拷問を受けます。食事はほぼ同じメニューで、毎日米と肉汁(肉は入っていない)のみでした。信者の中で不満が募ります。
元信者のスターンズ夫妻が、少年ジョン・ポールの親権をめぐってジョンソン教祖を訴えました。教祖は「CIAが仕掛けた罠だ」と言い、怒ります。
ジョン・ポールをアメリカ大使館に引き渡せば丸く収まるのですが、教祖はそれを許しませんでした。
ジョンソンタウンでは世間のニュースは全く知らされず、隔離された状態でした。監視はより一層厳しくなり、信者が外に出す手紙には逐一検閲が入ります。
ジョンソンタウンで撮影された写真は、皆笑顔のものばかりでした。指示されたものです。
ジョンソン教祖が「白夜(びゃくや)のリハーサルをする」と言い出しました。集団自決のことで、ジョンソン教祖はゲイリー医師に「サンドイッチと飲み物に、倍の興奮剤を混ぜろ」と指示します。
夜中に茂みで性行為をおこなっていた若い男女が見つかりました。男女は「道徳規範を破った」と皆の前で全裸で立たされ、女性はジョンソン教祖が指名した男性と、男性は男性と交わるように言われます。
白夜のリハーサルが行なわれました。「白夜とは心と体をすべて解放することだ」とジョンソン教祖は信者に説明し、まず子ども、次に大人の順でと言います。
「私のために死ぬ者は手を挙げろ」と言い、手を挙げたものを連れていくと紙コップを渡しました。ジョンソン教祖と共に、飲料を飲みます(あくまでリハーサル)。
実際のところ「ジョンソン教祖を盲目的に信じる信者」もいる一方で、人民寺院ならびにジョンソンタウンを疑問視し始める人たちも大勢いました。但し、疑問視しても逃げられないのが現状でした。
うまく逃げた人は陳情の手紙を寄せており、議員や大使館員は何度も「ジョンソンタウンの視察」を要求します。ところがジョンソン教祖はCIAの罠だと言って、拒否し続けました。
教祖は信者をガイアナ国からロシアへ連れていきたいと思います。当時アメリカとソ連(現在のロシア)は冷戦状態にあったため、ロシアに信者を連れていけばアメリカ合衆国の介入がないと踏んだわけです。しかし、多くの信者を連れて移動するには金が足りませんでした。
アメリカ・カリフォルニア州からの視察要請が幾度も出され、人民寺院の劣悪な環境が社会問題としてマスコミに取り上げられるようになります。
ジョンソン教祖の体調もすぐれず、「これは敵のせいだ」と思うようになりました(本編では触れられないが、大麻摂取などによる体調不良の説もある)。
世論が許さなくなり、ジョンソンタウンへの取材が入ることになります。
1978年11月14日火曜日。
ドレスラー大使館員とオブライエン議員、マスコミ、信者の家族カザンら十数名が、ガイアナ国のジョージタウン空港に降り立ちました。彼らは4台の車に分乗します。ジョージタウンの町は近代的でした。
1978年11月15日水曜日。
ジョージタウンにあるスーザン・エイムズの事務所にて、「視察を反対する信者の九条の手紙が殺到している」とスーザンがオブライエン議員に言います。
信者は1000人以上おり、視察は許可できないとスーザンは主張しました。

【転】- ガイアナ人民寺院の悲劇のあらすじ3

1978年11月16日木曜日。
一行はジョージタウンにあるアメリカ大使館に足止めされています。視察に来たのにジョンソンタウンへ入れないことで、一同の疑惑は確信に変わります。
宗教団体で税金が免除されている(注:宗教団体や寺などは信教の自由の観点から税金免除される。これは日本でも同じ)ことを挙げて強行しようという意見と、「アメリカ国務省からの指示があるまで、視察を待とう」とする意見もありました。
ジョンソン教祖が集団自殺を企てているという情報も視察側に入っていました。なので慎重にことを進めようと考えます。
一方ジョンソン教祖もいつまでも視察を拒み続けられなくなりました。「カザンだけ不許可、カザンはCIAだから(根拠なし)」という条件で、視察の許可をします。
カザンというのは初老の男性で、入団している娘・アナを連れ帰りたいと思っていました。ちなみにアナは教祖の盲目的な信者で、洗脳されています。
カザンは息子のピーターに代わりに行ってもらいます。ピーターはアナの兄です。
1978年11月17日金曜日。視察の一行はジョージタウンを出発してセスナ機に乗り、ポート・カイトゥマ飛行場に降り立ちました。
飛行場には「帰れ」派の人たちがトラックの荷台に乗って来ており、視察団にガヤを飛ばします。
視察団はジョンソンタウンに入りました。ジョンソン夫人・マリリンと挨拶を交わします。
寺院側はおおむね歓迎ムードでした。但し命令されて装っている香りがします。
ピーターは妹・アナを見つけて声をかけますが、アナは「私は帰らない」の一点張りでした。実はアナは教祖と肉体関係を持っているのです。
オブライエン議員は壇上で「ここは幸せそうだ」と告げた後「君たちと話がしたくて来た。誰か話をしたい人は?」と呼びかけました。ところが手を挙げる者は誰もいません。
取材の者たちはジョンソン教祖に、体罰があった問題について言及しますが、教祖は「あったかもしれないが、数か月~1年前にもうやめている」と答えました。
親権で揉めている少年ジョン・ポールについては「母グレンダ・スターンズが私を誘惑して関係を迫って出産したが、子どもを愛さなかった」と教祖は主張します。
「このジョンソンタウンでセックスしていいのは、あなただけか?」とマスコミが質問すると「まさか」と教祖は笑い、「77年の夏以来、30人以上も子どもが生まれている」と答えます。
ところが…オブライエン議員が2人の少女を捕まえて質問しました。嫌いなものはあるかと質問すると、少女たちは「食事」「学校」と答えます。少女たちの母親は別でしたが、父親について質問されると「ジョンソン教祖」と答えます(余談だがこのシーン、異様にぞわっとくる)。
視察団はなんとしてもジョンソンタウンに泊まろうと考えていました。視察に来た以上、徹底的に密着取材をしようと思っていたのです。
ところが「泊まらせる場所がない」「外のホテルにすでに予約を取っている」と言われ、追い払われました。翌日また来ると言い、視察団は一時退却します。
帰り際、1人の金髪ロングヘアの女性が、議員に握手を求める振りをして紙切れを手渡しました。
その紙切れには「お願い。ここから連れ出して」という文字が書かれていました。これを読んだオブライエン議員は、思った以上に深刻だと考えます。ジョンソン教祖がいる手前、声に出して訴えられない(議員が話をしたい人はと聞いた時には名乗り出なかったんい、こうして手紙で訴えてくる手法から)人が大勢いるのだと感じます。
視察団を帰した教祖の側近の者は「成功した」と言いますが、教祖は安心していませんでした。 この映画を無料で観る

【結】- ガイアナ人民寺院の悲劇のあらすじ4

…1978年11月18日土曜日。ジョンソンタウン最後の日。
視察団が再びジョンソンタウンにやってきました。
記者のひとりがうめき声を聞きつけ、ある建物に入りたがりますが、武装した集団に拒否されます。
それをおして建物内部に入ると、そこには拷問を受けて動けなくなった人や老人たちが、ぎゅうぎゅうに押し込められていました。ジョンソンタウンは「見せたくないもの」を隠していたのです。
その光景を見た人は「まるで奴隷小屋だ」と言いました。
ジョンソンタウンでは、信者が2つに分裂していました。この地に残りたいと主張する者と、視察団と共に外に出たいと言う者とが衝突します。
議員は教祖に紙切れを見せて、帰りたい人がいると指摘しました。教祖は「帰りたい人は帰ればよい」と言います。
出たい人を聞くと、7人の女性が名乗り出ました。
教祖は怒り始め「我々を崩壊させる陰謀だ」と言います。
初老の男性がナイフを持って「オブライエン議員、あんたはブタだ」と向かってきました。教祖を盲信する信者です(議員は無事)。
これを皮切りに、帰りたいと希望する者が続々と増え始めました。
視察団は帰りのセスナを1機増やし、さらにもう1往復させると言い、外に出たいという信者たちを連れて飛行場に向かいます。
教祖は信者たちに「飛行機は必ずや墜落する」「我々は辱めを受けた。死のう」と信者に言います。
皆は知らないことですが、希望してトラックに乗り込んだ男性1人は、教団側の人間でした。
ポート・カイトゥマ飛行場には2機のセスナが待ちうけていました。乗り込み始めた時、帰ると主張した人物の1人が発砲し始め、さらに飛行場にトラクターがやってくると、銃撃を始めます。
セスナの1機は離陸しましたが(注:この機が事件の一報を知らせることになる)、もう1機は手間取り、その間に次々と取材クルーや議員らは撃たれました。
銃撃を終えた後、トラクターは立ち去ります。全員が死んだわけではなく、軽傷だったり、倒れて死んだふりをして生き残った人もいました。
トラクターで戻った武装団は「全員殺しました」と、ジョンソン教祖に虚偽の報告をします。
教祖は議員も記者たちも死んだのならば、国防軍が45分でやって来るから、今夜集団自殺を決行すると決めました。ゲイリー医師に小声で耳打ちし、準備を始めます。
ジョージタウンにあるスーザン・エイムズ宅では、教団の手先によって家族が皆殺し(刺殺)になっていました。帰宅したスーザンもナイフで殺されます。
信者を集めた教祖は、演説を始めました。「誇り高く死ぬ。革命的な集団自殺を」「偉業を記録して、世に伝えねば」と信者に死を促します。
ゲイリー医師が用意したのは赤い液体でした(注:劇中では内容物について触れられないが、シアン化合物入りの飲料。劇薬で、飲料で飲んだ場合は消化管粘膜がやられて数秒から1分で死に至る)。
教祖が演説をしている間、「子どもが先」と言いながら、熱心な信者がまず子どもたちに飲み物を飲ませます。乳幼児には注射をしたりもします。
続いて大人にも紙コップが配られました。ひすてりーを起こしたり、飲むのを嫌がったりする人も多くいます。拒絶する者は、周囲の者が押さえつけて無理やり飲ませました。
赤い飲料を飲んだ者は苦しみ始め、倒れます。
「みんなで一緒に死ねば、来世でまた会える。泣くな。威厳を持って死ぬのだ」「私が死ぬときは、皆も死ぬ時だ。生きて出てはならない」と教祖は演説していました。
一部の者が事務所に入りこみ、書類と金を持って大使館へ駆け込みます。ただし殆どの者は逃げようとして、射殺されました。
抵抗する者から先に飲料を飲ませられ、その後、洗脳された人たちが粛々とコップの飲料を飲みます。
妻・マリリンがジョンソン教祖に紙コップを渡しましたが、教祖は銃で死にました(注:映画では銃殺されたように見える。ただし現在もなお、教祖が自殺か射殺かは明らかになっていない)。
残ったのは、動かなくなった人たちの死体の山でした。
ジョンソンタウンには〝過去を忘れる者は過ちを繰り返す〟という文字が掲げられていました。やがて、夜明けがきますが、ジョンソンタウンには物音ひとつしませんでした…。

みんなの感想

ライターの感想

これがほぼ史実らしいので驚き。1980年に映画化され、現在、DVDも発売されているが入手は困難かもしれない。
本物の教祖ジム・ジョーンズにそっくりの役者さんが演じている。これが本当にあったできごとだと映画冒頭でも綴られるが、劇中ずっと本当に重たい空気が流れる。
この事件によって信者の約9割の914人が死亡し、そのうちの267人は18歳以下の子供であったらしい。
今作品のほうが史実に沿った内容ではあるが、2013年製作(日本公開は2015年)『サクラメント 死の楽園』でも同じ内容が扱われている。
こちらのほうが、フィクションとして演出&脚色されてはいるが、見ごたえがあるかもしれない。
(今作品はドキュメンタリータッチなので、淡々と話が進む。映画という観点から見ると、後者『サクラメント 死の楽園』のほうが優れている)

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