「私は貝になりたい(2008年)」のネタバレあらすじ結末

私は貝になりたい(2008年)の紹介:2008年公開の日本映画。元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記『狂える戦犯死刑囚』の遺言部分をもとに、橋本忍の脚本で制作された映画である。

予告動画

私は貝になりたい(2008年)の主な出演者

清水豊松(中居正広)、清水房江(仲間由紀恵)、清水健一(加藤翼)、清水直子(西乃ノ和)、根本(西村雅彦)、竹内(武田鉄矢)、立石上等兵(六平直政)、滝田二等兵(荒川良々)、大西三郎(草彅剛 SMAP)、小宮教誨師(上川隆也)、西沢卓次(笑福亭鶴瓶)、矢野中将(石坂浩二)

私は貝になりたい(2008年)のネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

①妻の房江と散髪屋をする豊松は戦争末期に徴兵され、上官の命令でアメリカ捕虜に危害を加える。戦後に問題となり豊松は逮捕、絞首刑が言い渡される。 ②上官からの命令は絶対であることを豊松は主張するが、米兵に理解してもらえない。嘆願むなしく豊松は処刑された。

【起】- 私は貝になりたい(2008年)のあらすじ1

昭和19年(1944年)。
土佐(高知県)の最南端の海沿いの小さな町で、清水豊松と房江夫婦は、小さな散髪屋を開いていました。夫婦仲はよく、2人の間には5歳の健一という息子もいます。

…豊松と房江は元々、別の町の違う店の理髪師でした。房江の働く店に豊松が客として髪の毛を切りにきたのがきっかけで、2人は愛し合うようになります。
やがて房江は身ごもりましたが、店主に怒られた豊松は房江を連れ、町を出ていきました。
豊松も房江も、貧しい家の出身です。小学校を出てすぐに働きに出た身なので、実家に戻るのも憂鬱でした。
2人は南の果てまで移動し、着いた先で散髪屋を始めました。そして現在に至ります…。

豊松は生まれつき左足が悪く、いつも足をひきずっていました。しかし足が不自由なことで徴兵を免れてきていました。
その頃には配給も滞りがちで白い飯を食べることができず、毎日のごはんは具が少しの汁です。これは豊松の家にかぎらず、この時代の家ではよく見られる風景でした。
米を食べられない息子の健一が、「お弔い、ないかな」と言います。葬式ではおにぎりがもらえるからです。
健一は幼いから思わず漏らした悪気ないひとことですが、お弔いを望むのは縁起でもないことです。父である豊松は、商売道具の石鹸を米にかえてこいと言いました。
その頃になると、現金よりも生活用品の方が農家に喜ばれます。

ますます日本は戦局が悪くなり、ついに豊松にも赤紙(召集令状)が届きます。
豊松は妻の房江に頼み、頭をバリカンで刈ってもらいました。そうしながら、出会いの頃からこの数年を振り返ります。
2人で店を開くと決めて5年、商売もこれからという時でした。

中部軍 第三方面・尾上部隊。
豊松は近畿・中国地方の歩兵隊に配属されました。二等兵です。
上官は立石(たていし)上等兵、さらにその上官には日高大尉や小松少尉がいます。大隊長もいます。
訓練は厳しく、叱られるのはもっぱら豊松と滝田でした。

ある日、B-29戦闘機の空襲があり、明石、姫路、岡山、高松、徳島、高知の各都市が市街の8割を焼失します。日本側は地上砲撃で対応し、B-29戦闘機が大北山(おおきたやま)に墜落しました。
捜索隊を出すと、アメリカ兵の1人は死亡し、2人は意識がない状態で見つかります。
「しかるべき処置をせよ」という命令が上からくだりました。あいまいな表現ですが、要は処刑せよという意味です。
下っ端がその役にあてられました。滝田と豊松が選ばれます。
先述のとおりアメリカ兵は意識がなく、棒にはりつけにされていました。
みんなの前で殺せと言われた豊松は、それでも人間を殺すという行為が恐ろしく「できません」と答えます。上官からは「臆病者」と殴られました。

【承】- 私は貝になりたい(2008年)のあらすじ2

「上官の命令は、天皇陛下の命令と同じだ」と言われ、豊松と滝田は半泣きでアメリカ兵を処刑します。
実際は、刀は米兵の腕をかすめただけで、米兵ははりつけにされた状態で息絶えていました。

…戦争が終わりました。
日本はアメリカMP軍の統治下に置かれますが、平和な日々が戻ります。
豊松はまた土佐に戻り、散髪屋を再開しました。房江は懐妊し、6月か7月には2人目が出産予定です。
その豊松の家にジープが横づけされ、県の警察部が降りたちました。
豊松は、戦犯容疑で逮捕され、連行されます。

巣鴨、東京プリズン。
豊松が逮捕されたのは、先の大北山のアメリカ兵を殺害した容疑でした。滝田も逮捕されています。
捕虜は生かしたまま捕らえておくという戦争の暗黙のルールがあり、それを破ったのでMPは怒り関係者は全員逮捕されていました。

横浜 第八軍 軍部法廷。
通訳をまじえての事情聴取で、豊松は上官に命令されたからだと訴えます。
「上官の命令は天皇陛下の命令と同じ」という豊松の主張は、米兵の失笑を買いました。天皇陛下とやらに会ったことがあるのかとからかわれ、なぜ断らなかったのかと責められます。
しかし…二等兵は牛や馬と同じで、上官からすれば奴隷も同じなのです。そう豊松は訴えますが、米国軍は理解できませんでした。
のれんに腕押しで、しかもちんぷんかんの通訳をされるせいで、豊松は嘆きます。

やがて関係者すべてに刑が言い渡されました。
上官の矢野中将(司令官)、尾上中佐は絞首刑でしたが、そこから下の身分の者は終身刑や重労働刑が言い渡されます。
これを聞いて、滝田と豊松は内心ほっとしました。自分たちは死刑を免れたと思ったのです。
しかし実行犯の滝田と豊松は絞首刑が言い渡されました。愕然とします。

巣鴨プリズン(刑務所)は複数のブロックがありました。
グリーン地区は管理庁舎、ブルー地区は監房、イエロー地区は病監房、レッド地区は主監房、レッド地区の五号棟が、死刑囚収容棟です。
豊松と滝田はレッド地区五号棟に収容されました。
同じ房にいたのは、大西三郎という穏やかな青年です。
もともとは独房だったのですが、自殺する者があとを絶たないということで、自殺防止で2~3人収容するようになったそうです。
相部屋になった豊松は、大西に何をしたのかと聞きました。
大西は外地(外国)のボルネオのバリックパパン(現在のバリクパパン)にいたことを告げ「嫌な時代に生まれ、嫌なことをしたものです」と言葉を濁します。(何をしたかは謎)

【転】- 私は貝になりたい(2008年)のあらすじ3

翌朝、監房では読経の声が響き渡っていました。大西は聖書を読んでいます。
死刑囚は宗教にすがる者が多かったようです。
処刑される者は木曜の朝に呼び出され、ブルー地区のブロックに替わり、金曜日の午前零時(深夜)に刑が執行されると、豊松は大西から聞きます。
大西が呼ばれました。
「一晩だけでしたが、これもなにかのご縁だったのでしょう」
そう言うと、大西は静かに監房を出ていきました。

…裁判で引き立てられてから、1年以上が経過しました。
豊松は、山陰地方・鳥取県倉吉出身の男・西沢と同室になっています。
西沢は英語に秀でており、アメリカ大統領に直訴状を書いていました。
豊松はマッカーサー司令に再審書を出していますが、囚人の数が多いため、どうなるかは分かりません。
噂では絞首刑から終身刑に減刑になった者もいるそうで、豊松はその希望にすがっています。
西沢は自分の分が終わったら、豊松の分も手紙にしてやると言います。

矢野中将が豊松の房に面会に来ると、再審書の話をしました。
矢野は再審書に、司令官である自分だけを刑に処して、他の者は減刑、あるいは不問にしてくれと書いたそうです。
それを聞いた豊松は感動し、矢野の散髪を申し出ました。矢野と親しくなります。
房には教誨(きょうかい)師の小宮という男がいました。
宗教をよりどころにせず、面会者もない豊松を心配した小宮は、妻の房江に手紙を書きました。家族に何も知らせていないのではないかと、考えたのです。
小宮の想像通りで、房江は全く知りませんでした。娘・直子を抱えた房江は、妹の敏子の手伝いを得ながらも、土佐で奮闘していました。
夫の豊松に絞首刑が言い渡されていることを知った房江は、健一と直子を連れて上京します。この当時は高知から東京まで、船と汽車を使って移動に2日以上かかります。

矢野に刑が下りました。
矢野は最後の言葉として「アメリカが日本の都市を空撃したのは、戦争犯罪のおそれあり(戦争は兵隊同士の戦いであって、一般市民を巻き込むべきではないと言いたい)」「大北山の件は、責任者は自分ひとりにあり、他者は減刑すべき(あまりにも重すぎる)」と言い残して、刑の執行を受けます。

会いに来た房江の前で泣き崩れた豊松は、それでも再審の手続きを踏んでいることと、同房の西沢が大統領への直訴状を書いてくれると言いました。
その直訴状に、関係者の助命の嘆願書を200名ほど集めれば、処刑は免れると聞いた房江は、夫の命を救うために各地を回り、根気強く集めます。

【結】- 私は貝になりたい(2008年)のあらすじ4

息子を戦争で亡くした男からは「日本人なら潔く、腹をくくって死ね」と罵られながらも、房江は必死で嘆願書を集めて回りました。200名の署名を得ます。
死刑囚の房でも、矢野の絞首刑以降、刑の執行がぱたりとやんでいました。豊松らはそれを希望と受け止めます。
さらに房江が嘆願書を持って駆け付けました。豊松は感激し、これで絶対に死刑は免れると言います。
赤ん坊の直子の指を触り、息子の健一の指にちゅっとした豊松ですが、直子が泣き始めました。
見張りの米兵がやってくると、直子をあやします。

ある木曜。
豊松に「チェンジ・ブロック(房を移動しろ)」という言葉がかけられました。西沢は「減刑だ」と手放しで喜び、他の房にも伝わります。
みんなは自分のことのように喜んで、食器を叩いて祝福しながら豊松を見送りました。
豊松もみんなに感謝の念と、「先に雑居房で待っています」ということばを送ります。
房替えは事実でした。但し、西沢が叫んだ「減刑」ではなく、ブルー地区への移動でした。
3月26日午前零時に絞首刑が執行されると告げられた豊松は、愕然とします。

教誨師の小宮がやってきて、遺族に遺体は引き渡さず、埋葬場所も知らせないので、爪か髪の毛でも残したらどうかと助言しました。
「来世で生まれ変わるとしたら、何になりたいですか」と小宮に問われた豊松は、貧しい家の子だったので今度は百万長者のひとり息子にでも生まれ変わりたいと答えます。
しかし、その後ひとりで考えた豊松は、えんぴつを持って紙にしたため始めました。

『房江、健一、直子
さよなら、お父さんはもう2時間ほどで死んでいきます。
お前たちとは別れ、遠い遠いところへ行ってしまいます。
もう1度会いたい、もう1度みんなと一緒に暮らしたい。
許してもらえるのなら、手が1本、足が1本もげても、お前たちと一緒に暮らしたい。
でも、でも、もうそれはできません。
せめて、せめて生まれ変わることができるのなら、
せめて、せめて生まれ変わることができるのなら…。
いいえ、お父さんは、生まれ変わっても、もう人間にはなりたくありません。
人間なんて嫌だ。牛か馬の方がいい。
いや、牛や馬なら、また人間にひどい目に遭わされる。
いっそのこと、誰も知らない深い深い海の底…そうだ、貝がいい。
深い海の底の貝だったら、戦争もない。兵隊に取られることもない。
ふかーい海の底なら、戦争もない。兵隊もない。
房江や健一、直子のことを心配することもない。
…どうしても生まれ変わらなければいけないのなら、私は貝になりたい。』

そう書いて、豊松は絞首台にのぼりました。
直子ら幼い子を残して死刑に処されることを知る、見張りの米兵は涙をこらえます。
豊松は家族の写真を握ったまま、処刑されました。

土佐では夫の豊松が戻ってくることを信じて、房江が散髪屋をしながら待っています。まだ夫の死を知りません…。

みんなの感想

ライターの感想

人の命を簡単に奪ってしまう戦争の裏の部分まで描いていると感じました。戦争で命を落とした人がたくさんいることは語り継がれていますが、あり得ない罪に問われ、それにより命を奪われることもある戦争の恐ろしさを目の当たりにしました。それを支える家族も描かれているだけに、目を背けたくなるラストでしたが、これが現実なのだと思うと、戦争の無意味さを痛感しました。
力でねじ伏せ、家族から引き離し、命まで奪ってしまう恐ろしさを見事なタッチで描いていると思います。

ライターの感想

戦後63年経過した2008年、改めて映画化されたもの。59年版もある。
フランキー堺バージョンは確か終盤の、救いがありそうなシーンは全くなく、
徹頭徹尾、バッドエンドをにおわせるものだったような…(うろおぼえ、すみません)。
救いのないラストをなんとかしてくれ、という声もあろう。確かに、見て気分のいいものではない。
私はというと、中居正広と仲間由紀恵の「清潔さ」が妙に印象に残った。
この時代ってお風呂に毎日入れたわけじゃないだろうに、どのシーンでも主役の2人は美しい。
泥臭くとまではいかないが、もうちょっとリアリティ出せなかったのか。
(2人とも人気の高いアイドル、女優なだけに仕方ないのかも)
  • へっぽこ侍さんの感想

    ノンフィクションみたいな触れ込みの映画ですが、本当は手記を書いた加藤哲太郎中尉は処刑されず、後に釈放されています。また、史実では加藤中尉のような一兵卒が処刑されたという記録もありません。題材が題材なだけにそこを改変してノンフィクションという触れ込みは微妙な感じが…。

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