「ぼけますから、よろしくお願いします。」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

【承】– ぼけますから、よろしくお願いします。のあらすじ2

ぼけますから、よろしくお願いします。のシーン2

画像引用元:YouTube / ぼけますから、よろしくお願いします。トレーラー映像

母親は昭和4年生まれです。女学校を卒業したあとに簿記の資格を取り、独身時代はキャリアウーマンだったようです。30歳で父とお見合い結婚をしました。

「私」が生まれたのは1961年、結婚から2年後のことです。母は「私」の服を手作りして着せました。社交的で友だちも多く、娘である「私」の誇りでした。

子育てが終わると母は趣味の書道に打ち込み、書道展で特賞をもらうほどでした。母は写真を撮るのも趣味で、その当時の女性にしては珍しく何台ものカメラを使い分けて撮っていました。この母の行動が、映像表現の道に進む「私」に影響を及ぼしました。

「私」は18歳で親元を離れ、東京で独り暮らししていました。その「私」は2007年45歳のとき、乳がんを患いました。そのときに78歳の母が状況して励ましてくれました。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けて悲しむ「私」に、母は「気に病んでも薬のせいで抜けるんだから、かつらをかぶっておけ」と声をかけてニッコリ笑いました。母のことばで「私」は気持ちが楽になりました。

胸にメスを入れる手術の際も、ためらう「私」に「私のをやる」と母が言い「そんな垂れたボインはいらん」と親子で冗談を言い合いました。手術のときには廊下で母が待っていました。無事に手術が終わったとき、母親は目に涙をためていました。

そんな母親が、認知症になったのです。

【2016年】

母親が認知症になってから、「私」はたびたび実家へ戻ることにしました。

実家に戻って「私」がチェックすると、洗濯物がたまっていました。母は「天気が悪いから」と言い訳しながら、目の前で始めようとします。面倒くさがって横着していると思われたくないようで、「私」が手伝うと言っても母は断ります。母は洗濯物を取り出して広げたところで突然その場に寝転がってしまいました。父がそんな母をまたいで、洗濯機の向こう側にあるトイレへ行きます。

お昼になったからと言って、父親が近所のコンビニへ弁当を買いに行きます。「私」は母をなだめて「いっしょにしよう」と誘い、2人で洗濯をします。

この頃になると、母は料理ができなくなっていました。それでも台所は清潔さを保とうとしており、母は綺麗に雑巾で拭いています。

認知症の進行を遅らせる薬を母は服用しており、薬の管理は父親がしていました。母に毎朝飲ませているのですが、母は判らなくなって二度飲んでいることもありました。

まただるいのか、昼間から母は横になることが多くなりました。記憶が衰えていくことを自覚する母は、「判らんのじゃがね。バカになった」「どうしようか。どうして判らんなるんやろか」と不安に思っているようでした。

判らないことが増えてきた母は、不安で膝を抱えて泣きそうです。「迷惑かけるね。ごめんね」と言う母を、「私」も涙をこらえつつ励ましました。

その日「私」が晩御飯を作ると、母はおいしいと味を褒めてくれました。料理が得意な母に褒めてもらうことは嬉しく、そして悲しくもありました。

料理ができない母に代わって、父は90歳を超えてから家事を始めました。背中が曲がった父はゴミを出しながら「まあこれも運命じゃ。さだめじゃ」と話します。

父は大正9年生まれで、戦争のために大学進学をあきらめて陸軍に入隊し、生き残りました。戦後は小さな会社の経理一筋で、働いたお金で母親と「私」を養ってくれました。

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