「ぼけますから、よろしくお願いします。2~おかえり お母さん~」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

【結】– ぼけますから、よろしくお願いします。2~おかえり お母さん~のあらすじ4

ぼけますから、よろしくお願いします。2~おかえり お母さん~のシーン4

画像引用元:YouTube / ぼけますから、よろしくお願いします。2~おかえり お母さん~トレーラー映像

【2019年6月】

母の植えた庭のあじさいが、美しい季節です。母の病状がめっきり悪くなっていることもあり、療養型の病院へ転院することになりました。父と「私」はその転院の日、ある計画を立てます。

計画とは、転院する際に自宅へ立ち寄ってもらうということです。

母にとっては8か月ぶりの我が家です。病院では喜怒哀楽の表現がめっきり減っていた母でしたが、家のなかに入れてもらった途端に声を出して泣き出しました。それを見た「私」も感激してもらい泣きします。父は母に、早く元気になって家に帰って来いと言いました。

【2019年11月】

父親が、99歳の誕生日を迎えました。すっかり家事も板についた父は商店街の馴染みの魚屋と肉屋をめぐり、買い出ししました。ひとりで家事をして、きちんと生活しています。

母は病院で寝たきりの状態が続きます。

【2020年1月】

父親の、母詣でに休みはありません。「私」もいっしょについていきます。

体力が衰えた母は、お腹に穴を開けてチューブで栄養分を流し込む「胃ろう」という手段を取っていました。これにより、食事するという楽しみはなくなります。

それを見ている父と「私」は、母の気持ちを想像してみました。「胃ろう」は延命措置にあたるらしく、患者の家族のなかにはそれを希望せずに死ぬのを見守るという選択もあるそうです。

「胃ろう」の措置を取ったのが正解か否か、父も「私」も判りませんでした。それでも2人とも、母には一日も長く生きていてほしいと思っていました。

全世界を襲った新型コロナウイルスの流行により、2020年3月から病院での面会が禁止になりました。父も「私」も、母と面会できなくなります。

そんな折、「私」はお医者さまから話があるという呼び出しを受けました。

【木村胃腸科病院 木村敏久院長】

母は肺炎がひどくなり呼吸不全が続いていました。意識状態もよくなく、下手をすれば2~3日内に…という状態で、3時間だけ面会が許されました。

「私」は母と会い、その様子を動画に撮りました。帰宅して父親にも映像を見せます。

母はその後なんとか持ち直し、肺炎もよくなりました。父は喜びます。

【2020年6月】

木村院長から「母の呼吸が弱くなっている」という電話を受けて、父と「私」は病院へ行きます。ほぼ危篤に近い状態だと聞かされて、2人は母の面会を行ないます。

ほとんど反応のない母の手を握りながら、父は「今年の11月には100歳になる。そうしたらハンバーグをいっしょに食べに行こう」と声をかけました。

「私」と父が見舞ってから、10日以上母は頑張りました。

6月13日の夜、また「私」たちは病院へ呼ばれます。父は母の手を握りながら「長いことお世話になった。感謝しとるで」と母に声をかけます。

明け方、母は眠るように息を引き取りました。享年91歳です。

父と「私」は母の死を受け止め、父子で葬儀をして見送ります…。

…秋が来て、父はめでたく100歳になりました。

家に呉市長が訪問して、お祝いを述べました。ご祝儀として5万円もらいます。

父は母と行きたいと思っていたファミレスへ「私」と行き、そこでハンバーグを注文して食べました。

【2021年】

2021年、「私」は父親といっしょに呉で過ごす日が増えています。「私」は定期的に、父と2人で動画配信を行なっています。

父がいっしょにいたいという希望で、母のお骨はいまも仏壇にあります。父は「私」をいい娘だと褒め、「私」も喜びます。「私」にとっても父は、母同様「自慢の父」でした。

(エンドロール)昔の両親の写真。

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