映画:オードリー・ヘプバーン

「オードリー・ヘプバーン」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

オードリー・ヘプバーンの紹介:2022年5月6日公開のイギリス映画。『ローマの休日』、『ティファニーで朝食を』などで知られる女優オードリー・ヘプバーンの真実を描くドキュメンタリー作品。ヘレナ・コーンが監督を務め、オードリーの長男であるショーン・ヘプバーン・ファーラー、孫のエマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラー、『アメリカン・グラフィティ』のリチャード・ドレイファスらがインタビューキャストとして出演する。

オードリー・ヘプバーンの主な出演者

オードリー・ヘプバーン ショーン・ヘプバーン・ファーラー エマ・キャスリーン・ヘプバーン・ファーラー ピーター・ボグダノヴィッチ リチャード・ドレイファス アンナ・カタルディ マイケル・アヴェドン クレア・ワイト・ケラー エディス・レデラー クレマンス・ブールーク ジョン・アイザック ジョン・ローリング ニロ・イアコボーニ アンドリュー・ウォルド ピエルルイジ・オルネス マレリーナ・ヒラ ミタ・ウンガロ モリー・ハスケル ヘプバーンを表現する3人のバレエ・ダンサー – キーラ・ムーア、フランチェスカ・ヘイワード、アレッサンドラ・フェリ

オードリー・ヘプバーンのネタバレあらすじ

【起】– オードリー・ヘプバーンのあらすじ1

オードリー・ヘプバーンのシーン1

画像引用元:YouTube / オードリー・ヘプバーントレーラー映像

ステージの上に、若い女性のバレリーナが立っています。そのバレリーナはゆっくりとステージに進み出ます。

「私が初めて映画に出たとき、私はダンサーだった。演技ができるかどうかは全くの未知数。でも、ひとりの人間として何かを引き出せると思われたらしい。とても感謝しているわ。そのおかげで、ありのままの自分が幸運を手に入れられたのだから」

〔1953〕

その声の主は、オードリー・ヘプバーンという女性です。映画『ローマの休日』のヒロイン役に大抜擢されたオードリーは、その作品でアカデミー主演女優賞を獲得しました。スクリーンに登場したオードリーの美しさに誰もがため息を漏らしました。オードリーはそれまでのハリウッド女優にはいない、新しいタイプの役者でした。強烈な印象を残すまなこの力、愛くるしい笑み、誰もが愛さずにはいられないと魅了されました。

オードリーはすぐに、当時のトップ女優ドリス・デイやマリリン・モンローらと並ぶ女優になりました。そんなオードリーの人生は、波乱に満ちたものでした。(映画タイトル)

〔1926〕

オードリーの両親は1926年に、東インドで出会います。父親は外交官、母親はヘームストラ男爵という総督の娘でした。オードリーの母親は貴族の出身です。両親いずれもオーストリア系です。

オードリーの父親は、貴族に憧れていました。そのため自分の家系図に手を加えて、スコットランド女王の遠縁を名乗ったこともありました。オードリーの両親は東インドで出会い、結婚します。その3年後の1929年にオードリーは生まれました。

1930年代に入ると、ヨーロッパでは各国が戦争に向けて動きます。オードリーの父親はドイツのファシストに傾倒し、反ユダヤ活動に精を出します。それが高じて1935年、父親は家族を捨ててひとり、渡英しました。そしてイギリスの黒シャツ隊(ファシスト党の民兵組織)に入ります。オードリーの母親はオランダに子どもを連れて移り住みます。

その後、学童年齢となったオードリーは、イギリスの寄宿舎学校に進学しました。父親はロンドンに住んでおり、そう遠い場所でないにも関わらず、父親はオードリーと会おうとしなかったそうです。

やがて第二次世界大戦が始まりました。ロンドンで空襲に遭うのを恐れた母親が、オードリーをオランダに呼び寄せます。オードリーはオランダで「エッダ」という名を名乗りました。オードリーという名はイギリス風の響きがあり、危険だと母がみなしたからでした。

〔1939〕

オードリーはオランダでバレエを学びました。きょうだいたちもそこで暮らしましたが、田舎での暮らしは窮屈で不自由で、まるで牢獄のような暮らしでした。戦争による締め付けは厳しく、オードリーの兄のひとりは、ドイツで強制収容所に移送されていました。また伯父も地下組織を作ったという容疑で、処刑されました。

抑圧された暮らしのなかで、オードリーはバレエを踊ることでつらさからの逃げ道としました。窮屈な生活のなかでも、オードリーは芝居やオペレッタなどを披露しました。

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