映画:オードリー・ヘプバーン

「オードリー・ヘプバーン」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

【承】– オードリー・ヘプバーンのあらすじ2

オードリー・ヘプバーンのシーン2

画像引用元:YouTube / オードリー・ヘプバーントレーラー映像

この頃から終戦まで、オードリーたちは貧しい暮らしを余儀なくされます。オランダはドイツ占領下に置かれ、物資の補給が断たれてみんなひもじい思いをします。オードリーだけではなく、だれもが栄養失調に陥っていました。

のちに戦況が好転してオランダは解放されますが、そのときに弱った子どもたちを救ったのがユニセフの前身である連合国救済復興機関でした。その団体が食料と医薬品を子どもたちに届け、チョコレートを配りました。自身も栄養失調に苦しむオードリーの目に、その団体は好意的に映りました。そしてこの戦争体験がのちのユニセフへの貢献につながるのです。

〔1945〕

第二次世界大戦後、オードリーはロンドンのバレエ学校に入学しました。そこで教鞭を取るランバート先生の家に身を寄せます。

〔1948〕

プリマを目指したオードリーは、必死にバレエを学びます。しかしオランダで思春期を過ごして栄養失調と練習不足に陥っていたオードリーは、実力はあったものの「プリマになる可能性はきわめて低い」と言われました。

バレエスクールでバレエを学んでいた頃から、オードリーは生活費を得るためときどき映画の端役に出ることがありました。しかし演技を学んだことは特にありませんでした。

仕事を探したオードリーに見つかったのは、ミュージカルの仕事でした。

ミュージカルの舞台で踊っていたオードリーに変化が訪れたのは、戯曲『ジジ』を著わした女流作家・コレットでした。コレットはオードリーを見てひとめで気に入り、ジジ役として出演しないかとスカウトしたのです。

『ジジ』出演が決まったのと同時期に、たまたまウィリアム・ワイラー監督が映画『ローマの休日』の王女役のオーディションをイギリスで行なっていました。これに参加したオードリーは、王女役も射止めます。

〔1954〕

ブロードウェイのミュージカル『ジジ』、そして『ローマの休日』で大成功を収めたオードリーは、1954年にアカデミー賞を受賞しました。オードリーの生活はがらりと変わります。

マスコミの取材が殺到し、舞台やテレビ、映画の出演依頼もたくさん舞い込みました。

ワイラー監督からまた依頼を受けたオードリーは、『麗しのサブリナ』でも大ヒットを飛ばします。

その頃に、オードリーは衝撃的な出会いを2人と果たしました。ひとりはブロードウェイの舞台『オンディーヌ』の共演者の、メル・ファーラーです。メルと恋に落ちたオードリーは、同年の9月に結婚式を挙げました。

もうひとつの出会いはユベール・ド・ジバンシィとです。ファッションデザイナーのジバンシィはオードリーと出会った瞬間、お互いに魅了されました。のちにジバンシィは映画『ティファニーで朝食を』のオードリーのドレスをデザインしますが、この時代にふたりは出会い互いの才能を認めていました。

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