映画:オードリー・ヘプバーン

「オードリー・ヘプバーン」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

【転】– オードリー・ヘプバーンのあらすじ3

オードリー・ヘプバーンのシーン3

画像引用元:YouTube / オードリー・ヘプバーントレーラー映像

メルとの結婚後も、オードリーは『パリの恋人』『昼下りの情事』など次々に映画の出演を果たします。

1960年、オードリーは息子を出産した直後に映画『ティファニーで朝食を』の撮影を開始していました。この作品の作家トルーマン・カポーティはオードリー出演の映画に失望していましたが、それはカポーティがマリリン・モンローをイメージしていたからだと言われています。カポーティの評価はともかく、映画は大ヒットしました。

劇中にオードリーが「ムーン・リバー」の曲を口ずさむシーンがあります。そのシーンは当初カットされかかっていたのですが、オードリーが「それを削るのは死んでも許さない」と使うよう押し通したそうです。結果、「ムーン・リバー」が名曲として知られるようになりました。

息子・ショーンが生まれたあとも女優として活動していたオードリーでしたが、彼女自身は栄誉よりも家族との時間を求めました。オードリーは1967年に家族との暮らしを大事にしたいと言い、スクリーンから消えます。

しかし実は私生活では、夫メル・ファーラーとのあいだは冷え切っていました。結婚後も17年間仕事をともにしていたメルですが、夫婦としては終わっていました。それでもオードリーは息子のためを思い離婚をためらっていました。

スクリーンから一時引退したオードリーが最初にしたのは、失踪した父を探すことでした。父親と会いたいと思ったオードリーが調べると、父はアイルランドに住んでいました。1939年の第二次世界大戦が始まる数日前に会ってから、28年ぶりの再会です。

オードリーは父親に会いに行きますが、残念なことに父のほうでは娘のオードリーとの再会を喜ばなかったそうです。そのことに深く傷ついたオードリーは、「父親は自分の期待に応えてくれない」と打ちのめされました。それでも父親のことを許すと決めます。

父に愛情を与えられなかったことで、オードリーは「捨てられることへの不安」を強く抱くようになりました。そしてそれは終生、オードリーを悩ませたことでした。

1968年にオードリーは、メルと離婚を決めます。

離婚よりも前にオードリーは、スイスのレマン湖地方に家を購入しました。そこは「ラ・ペジブル(安らかな)」と名付け、息子・ショーンとの暮らしにあてました。

離婚の前後にオードリーは、イタリア人の精神科医アンドレア・ドッティと出会いました。アンドレアに急速に惹かれたオードリーは、1969年に結婚しました。そしてその翌年の1970年に、オードリーはルカという息子を出産します。

しかしこの夫・アンドレアとの結婚生活はあまりよいものではありませんでした。アンドレアはオードリー以外の多くの若い女性と、関係を持っていました。そのことに気づいたオードリーは苦しみますが、やはり子どものことを考えて離婚になかなか踏み切りませんでした。オードリーがアンドレアと離婚したのは1982年のことです。

次のページで結末を見る

次のページへ
1 2 3 4 5

「オードリー・ヘプバーン」と同じカテゴリの映画

関連記事はこちら

×