映画:オードリー・ヘプバーン

「オードリー・ヘプバーン」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

【結】– オードリー・ヘプバーンのあらすじ4

オードリー・ヘプバーンのシーン4

画像引用元:YouTube / オードリー・ヘプバーントレーラー映像

〔1980〕

オードリーはアンドレアと離婚する直前に、オークション会場で友人を介してオランダ人の俳優ロバート・ウォルダースと出会います。ロバートとの仲は恋人であり友人でもありました。しかしオードリーはロバートとはついに、結婚することはありませんでした。

オードリーは死ぬまでロバートと良好な関係にありました。本人も取材でそう認めています。

オードリーがユニセフから最初に声をかけられたのは1987年のことでした。マカオのオランダ領事館で、ユニセフの親善大使にならないかと声をかけられたのがきっかけです。

マカオ、そして東京でユニセフ親善大使としていわば広告塔になったオードリーは、この支援活動に大きな手ごたえを得ました。

〔1988〕

オードリーは1988年にユニセフ親善大使の任命を受けました。そしてエチオピアを訪問します。

さらにソマリアのキャンプを訪問したオードリーは、ユニセフの活動にどんどんのめり込むようになりました。オードリー自身が思春期に戦争で栄養失調に陥った経験と重なり、発展途上国の飢えた子どもたちが他人事とは思えなかったのです。

オードリーはユニセフの活動に奔走しました。恋人のロバートが「休みを取らせたいくらい」と考えるくらい打ち込んでいました。

オードリーの活動は効果がてきめんでした。彼女がブラウン管の前に立って訴えるだけで、寄付金がたくさん集まりました。オードリーがユニセフで活動を始めた5年間で、規模が倍になったほどです。

ユニセフの活動に貢献したオードリーは、おそらくこの頃にすでにガンに身体をむしばまれていたのだろうと思われます。しかし彼女は他者にそれを告げることはありませんでした。

1992年に検査を受けたときには、すでに悪性のガンが腹膜だけでなく転移していました。オードリーは11月にロサンゼルスでガンの手術を受けますが、術後に化学療法を受けることはありませんでした。それは末期のガンであることを意味していました。

オードリーはその後家族に付き添われて、スイスの自宅で短い晩年を過ごします。息子のショーンとルカは医療器具の使い方を教わり、ベッドに付き添いました。またオードリーと親交のある者が入れ替わり訪れました。

1993年1月20日午後8時、オードリーは自宅で息を引き取ります。

息子のショーンは、母・オードリーが病床で「部屋に人がいる」と話していたと語ります。ショーンには見えないその人のことを、オードリーは「自分を迎えに来た人々だ」と話したそうです。「あなたには見えないかもしれないけれど、いるのよ」と、オードリーは話していたそうです…。

オードリーは63歳の若さで亡くなりましたが、彼女の死後も彼女は世界じゅうの多くのひとに愛されています。2020年を過ぎた現在もなお、銀幕のなかにオードリーの美しさは輝いているのです。現実のオードリーは父親に愛を求めても得られませんでした。その代わりにオードリーは多くの子どもたちに、愛を与えつづけた人生でした。そして同時にオードリーの人柄は、世界じゅうの人々に愛され続けています…。

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