映画:ココ・シャネル 時代と闘った女

「ココ・シャネル 時代と闘った女」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

ココ・シャネル 時代と闘った女の紹介:2021年7月23日公開のフランス映画。没後50年を迎えたココ・シャネルの生涯に迫ったドキュメンタリー。第一次世界大戦後、19世紀的な価値観を葬り、女性たちを因習から解放。女性として史上初の世界的実業家となったシャネルは、第二次世界大戦以前にモードの帝国を築き上げるが……。「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」のランベール・ウィルソンがナレーションを務める。

ココ・シャネル 時代と闘った女の主な出演者

ココ・シャネル(出演)、ジャン・ロリターノ(監督・脚本)、ランベール・ウィルソン(ナレーション)、松岡葉子(字幕)

ココ・シャネル 時代と闘った女のネタバレあらすじ

【起】– ココ・シャネル 時代と闘った女のあらすじ1

ココ・シャネル 時代と闘った女のシーン1

画像引用元:YouTube / ココ・シャネル 時代と闘った女トレーラー映像

本名:ガブリエル・シャネル、通称:ココ・シャネルは全デザイナーと闘ったデザイナーでした。彼女の人生は「闘い」のためにあったといっても過言ではありません。シャネルの人生の晩年になってもなお常にシャネルは闘い、世界のモード界に帝国を築きます。

激しい気性を持ち、自ら神話を作り上げ真実をほんの少し脚色したのがシャネルです。孤児だったシャネルは闘うことで、すべてを手に入れました。

1970年、シャネルは87歳でした。ブロードウェイはシャネルをモデルにしてミュージカルを捧げました(初演は1969年)。ジャック・シャゾという男性ダンサーは、シャネルと腕を組んでエスコートしながら話をします。

シャネルは自分の店に入ります。店には2階から伸びる階段があり、周囲には鏡が張られています。シャネルのファッションに身を包んだモデルが階段をおりるのを、シャネルは定位置から観察するのです。ファッション界の女王のシャネルは、1954年のマスコミとの闘いでさんざんに叩かれました。15年ぶりに発表されたコレクションは、酷評されたのです。

1970年の春夏コレクションを見ながら、シャネルは思い出します…。

シャネルは生まれた時から、すでに闘っていました。最初の闘いは生活です。

1883年8月19日、ガブリエル・シャネルは洗濯女の母、行商人の父の間に生まれました。アダナはフィフィ。祖母の飼っていたカナリアの名前だそうです。

1895年2月5日、母・ジャンヌが慢性の気管支炎で亡くなってから、シャネルの苦労が始まります。父・アルベールは5人の子どもを捨てて蒸発し、シャネルは12歳で絶望しました。シャネルたちはオバジーヌ修道院に預けられます。この修道院での生活がのちのシャネルに影響を与えていました。シャネルのロゴやデザインのモチーフにも、修道院に関係するものが使われています。

1896年、ティエール市にいる母の姉妹の家にシャネルは家政婦として引き取られた…と、アンリ・ポンションはシャネルから聞いていました。そのおばもシャネルの母と同じく洗濯女をしており、ティエール市は刃物の町として知られます。この時代のシャネルは鉄の意志を持つ暗い少女として過ごしていました。

この時代、女性は結婚のために針仕事を教わっていました。女性は結婚するために裁縫はできないとならないということで、シャネルも教わります。しかし数年後、シャネルは結婚を嫌って出奔しました。父と同じように自分の周囲のものを捨てて去り、自分の痕跡を消したのです。それからしばらくシャネルは身を隠します。

1903年、シャネルは20歳でした。シャネルは二流のムーランのミュージックホールで歌をうたっていました。歌はうまくなく声も悪声でしたが、シャネルは騎兵たちのお気に入りとなっていました。この頃、シャネルは「ココ」という愛称を店でもらいました。ガブリエルという本名ではなくココという名を使い始めたのは、この頃のことです。「トロカデロでココを見なかったか」という歌からきています。

この時代、シャネルはエティエンヌ・バルザンと出会います。シャネルは迷わずバルザンの愛人となりました。バルザンは裕福な将校でした。

シャネルは乗馬ができたので、よくバルザンの乗馬に同行しました。バルザンは冗談でシャネルを「馬丁(ばてい)だ」と第三者に紹介したそうです。シャネルは合間に帽子を作って、乗馬にやってくる貴婦人たちに打っていました。

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