「人生フルーツ」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ドキュメンタリー映画

愛知県高蔵寺に住まいを持つ津端秀一さんと英子さんご夫婦の、穏やかで毎日を豊かに生きてゆくドキュメンタリー。自分たちで土を耕し、果実や畑を耕し、果実の恵みを得て、金銭的に決して裕福ではないが、心を豊かに毎日をこつこつ、ゆっくり生きてゆく姿を描く。伏原健之監督。100分。2017年公開作品。

あらすじ動画

人生フルーツの主な出演者

津端修一 津端英子

人生フルーツのネタバレあらすじ

【起】– 人生フルーツのあらすじ1

愛知県高蔵寺市にある「高蔵寺ニュータウン」の団地群のすぐ傍で、ぽつんと経つ赤い屋根のお家。90になる津端修一さんと、英子さん夫婦は穏やかに毎日を過ごしていた。

秀一さんは野菜中心の和食、英子さんは洋食でパンを齧る。食べ終わったら修一さんは枯葉を畑に撒き、肥えた土に日々育てていく。季節によって取れる果実と野菜を取り、それを保存したり調理するのは英子さんの役目。40年以上使う土鍋で煮込んだり炒めたりして時間を掛けて、ゆっくりと調理していく。

「風が吹けば枯葉が落ちる、落ちれば土が肥える、土が肥えたら果実が実る。こつこつ、ゆっくり」

そんな気持ちで二人は、毎日を畑仕事と料理と手仕事で費やす。

修一さんと英子さんの出会いは、英子さんの実家の酒蔵を東京大学ボート部に宿泊所として貸したことがきっかけだった。ボート部のキャプテンだった修一さんと英子さんは引かれ合い、1950年、冬に結婚した。

結婚当時、お金は全くなかった。だがそれに焦る事はなく、英子さんは「わがまま」とも思える、自由奔放な考えを持つ修一さんを支え、彼の願いに寄添える様に過ごしていた。

例えば、ボートが欲しいなぁなんて一言修一さんが呟くと、当時月給4万だった収入の中、どうしようかと英子さんは悩み日々質屋に通った。修一さんには行かせなかった。

そして、当時70万だったボートを手に入れたという経緯もあった。

毎日、果実は大きく育ってゆく。サクランボはジャムにし、桃はコンポートで煮詰め、いちごではケーキをこしらえた。ホットケーキを焼き、サクランボは一部ヨーグルトに絡め食べる。その際に修一さんはお気に入りの木製スプーンを英子さんに頼み、英子さんはすぐ動いて、はいっと手渡した。

戦争が終わり、沢山の市民が家を空襲で焼かれすっかり焼け野原となった日本に家を立てなければいけないと修一さんは思い、日本住宅公団創立から団地設計を中心に手がけるエースだった。

東京で既に多くの団地設計を手がけた修一さんは、愛知県の高蔵寺ニュータウンの設計に手がけていた。広い平野で当初計画は進められていたが、1959年の伊勢湾台風により場所が頓挫し、高地での団地計画を進めてゆく。雑木林を取り入れ「風の通り道」を作り、自然と団地が共生する地域を目指していた。

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