「心の傷を癒すということ≪劇場版≫」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

ヒューマンドラマ

【結】– 心の傷を癒すということ≪劇場版≫のあらすじ4

心の傷を癒すということ≪劇場版≫のシーン4

画像引用元:YouTube / 心の傷を癒すということ≪劇場版≫トレーラー映像

一方、大阪にいた美里と終子たちは公園にきていた。

するとベンチで隣同士でいた女性と美里が話している

大震災について「あの地震かて、テレビ見てたらほんま悲惨やもんね。あれはバチ当とうたのかと思うわ」と言い出した女性に「そんな訳あらへん!」と美里は言葉を返した。

終子は黙って下を向いていた。

和隆は被災当時、病院内にいた看護婦と出会った。

病院は全壊、5階が潰れ中にいた看護婦たちはもう無理だったそうだ。混乱した病院に心肺停止の子供を連れた親子がやってきて心臓マッサージを頼んだが10分くらい蘇生処置をしてもダメだったためその場を離れようとしたが、母親が決して手を離さなかったことを強く覚えていた。

避難所となった体育館では看護婦に雑用が頼まれたり、雰囲気が非常にピリピリしていた。

食料も衣服もほぼなく、被災者の心身ともに心は病んでいた。

終子は和隆に連絡を取るが、二日ぶりに睡眠をとっていた状態に「そのままにしといて下さい」と電話を切った。

和隆は大阪に電話を掛けると電話に出たのは弟の壮介だった。彼は父の会社を手伝っていた。だが会社の経営がかなり傾いていて苦しい状態らしい。そして終子が倒れたことも伝えられ、急いで大阪に和隆は駆けつけた。

終子は震災ストレスから倒れ込んでいた。そしてリスクはありつつも家族が一緒にいることを終子は選び神戸に戻ることにした。

父の和隆への気持ちは強固で「帰れ」と言った。

和隆の保健室には、ぽつぽつと様々な患者が訪れるようになった。

震災後の夜火災で「助けて」という誰かの声を振り切り逃げたことを悔やみ、それ以来夜になると眠れないと言う女性。

「震災ごっこ」と称し、机をゆらし遊ぶ小学生。周りの大人は嫌がったが和隆は大切なことだと言った。

そして、和隆は一度は断った新聞への記事の寄稿をしようと思っていた。神戸の人々の現状を伝えたいと思ったからだ。日々メディアの報道は小さくなっていくが、人々の内情はもっと複雑で強い危機感があった。

その時には、まだPTSDという言葉はなかった。

体育館には阪神タイガースの帽子を被った小学生がいた。

いつも話しかける和隆に懐いていたが、何か話したいことないか?と聞くと口を重くした。

「ぼくよりもっと辛い人達おるし」

と笑う

「おじいちゃんにそない弱いのあかんて言われる」

と言ったので、和隆は弱いってええことやで。と言うと、少し間があり

「おじいちゃん、見つかってへんねん」

と告げた。

「ずっと地面が揺れとう気がする」

という少年

「大丈夫や、揺れてない」と和隆は言葉を返し少年の手を握った。

和隆の呼びかけで校庭でキックベース大会が催され、束の間だったが人々に笑顔が戻った。

人の心を癒せるのは医者じゃない

医者にできるのは、人の心に寄り添うことだけや。

和隆は改めて、決意を胸にしていた。

震災で壊れた湯浅の病院も再建が決まった。

体育館で管理にしている校長から一人の女性の存在を知らされる和隆。毎日、隅で酒を飲みパニック状態になっているという。

片岡さんという女性を尋ねてみると彼女は以前、和隆が勤める病院に急性アルコール中毒で運び込まれた患者だったが多重人格も持ち合わせていた。早くに両親を亡くし精神が不安定になり、いくつもの都市を渡り歩き、いくつもの人格が生まれた。そして被災した。

和隆は片岡さんの気持ちに寄り添い、ゆっくりと治療を進めていった。

彼女は病院を出ていくと言う、自分が弱いからこうなったと力なく笑う姿に

「違う、耐えられへんような悲しみや苦しみを感じたから生き延びる方法を見つけようとしたんや、生きる力が強いんや」

と言葉を掛けると、頭を下げ片岡さんは去っていった。

だがしばらくして再会した彼女に和隆はジャズピアノを教え「生きがいを見つけて欲しい」と鼓舞していた。

震災から1年後、和隆と終子夫婦に新たな命が生まれた。

だがそれと反例するように、父の事業は失敗し身体を壊してしまう。

和隆が記事に寄稿したものがまとめられ本になり、フロンティア学芸賞を受賞した。

授賞式には永野医師も訪れ、人の苦しみに精一杯耳を傾けた功績を讃え褒めていってくれた。

帰り、賞状を持って実家を訪れると病床にいる父がいた。

賞を取ったことを伝えると、父は泣いていた。

若い頃、韓国人だということででかい顔しやがってって言われて。悔しくて会社起こしてデカくしたけど全部なくなってもうた、悔しいわ、堪忍やで」

その素直な父の言葉に和隆は初めて父の気持ちを知った。

数ヶ月後、哲圭は亡くなった。

全壊になった病院も再建が決まり嬉しそうな顔をする看護婦。

少しずつだが少しずつ前に進んでいく神戸の街。

2000年。

あれから5年、クリスマスが近づく頃「神戸ルミナリエ」が行われた。

鎮魂と再興の象徴として、毎年神戸で行われることとなった。

カフェのママが見守る中、和隆は「解離性障害」の本を出そうとしていた。

えらい難しいテーマやなあと微笑むママに、一般の人でもわかるように書くんや、そしたら患者さん生きやすくなるんやないかなと思ってと笑って答えた。

再建した病院では、片岡さんが訪れていつかの看護師が対応していた。

「これからはここでお話聞かせてな」

と和隆が彼女に微笑み掛けた。

だが和隆は腰のあたりに違和感を感じ始めていた。肝臓が腫れている感覚だった。

診察してもらうと末期のがんだった。その事実を第三子妊娠中の終子には伝えないでおこうとおもった和隆

じっと自分の中で堪え、机に向かいやりたいことをノートにつづり出した。

だが入院する日を迎え、終子についにがんのことを伝えると彼女は泣き崩れた、それを抱き止め優しく慰めた。

兄、智明も緊急帰国しセカンドオピニオンを探していた。だが和隆自身は残された日々を生きる力にするため、あえて退院ししたいことを糧にしたいと願いを口にした。

・がんの治療について勉強する

・春子に一輪車を教える

・息子にチェスを教えて、新しく生まれる子の名前を考える

・患者さんの診療もしたい

患者さんと家族のそばにできるだけいたい、それが和隆の望みだった。

10月、痩せた和隆と湯浅はジャズコンサートに来ていた。予約席まで辿り着けない和隆の隣から離れない湯浅

「お前の隣が最高の席や」

と湯浅は笑うのを、涙を堪えて見る和隆

ずっと請け負っていた片岡さんに担当医を変わることを告げる和隆。

苦渋の決断だった、車椅子に乗った彼はピアノを弾くと穏やかな笑顔で聞く片岡さんだった。

車椅子を押す母、美里に和隆はこう告げた

「心のケアってなにか分かった。一人ぼっちにさせへんことや」

「なんや、それはあんたがずっとやってきたことやな」

と美里は答える。

11月、和隆の腹は腹水でパンパンに膨れ上がり苦しんでいた、即入院になる。

そして同時期に終子の陣痛も始まった、そして出産。そのビデオが病室で意識朦朧とする和隆にも見せられ「可愛なぁ」と微笑んだ。

赤ん坊を連れて退院した終子が持っていた本に、一通の手紙が挟まれていた。

それは和隆からだった。

「赤ちゃんの名前決めたわ、灯、ともしびとかいてあかりにしよう。この子は僕と終子の世界を明るくしてくれる、僕の7ヶ月を明るくしてくれたように。いつも家に帰ると終子が待っていてくれると思ったから仕事も頑張れたんや、ありがとう」

2000年12月2日。

安和隆は亡くなった、享年39歳だった。

残された皆は、それぞれの道を力強く生きている。

兄、智明は東日本大震災の際に原子力科学者として対策に力を尽くした。

和隆の著書「心の傷を癒すということ」は被災者支援に今でも強い支持を与えている。

街の灯火が眩しい神戸の街を歩く終子、成長した子供たちも一緒だ。

隣で優しく微笑む和隆の幻が見守っている、ずっと。

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