映画:放浪の画家ピロスマニ

「放浪の画家ピロスマニ」のネタバレあらすじと結末

放浪の画家ピロスマニの紹介:ソ連下時代のグルジアが1969年に『ピロスマニ』というタイトルで発表した伝記映画で、多くの映画賞に輝いた。日本公開は78年で、リマスター版が上映された2015年に現在の邦題がつけられ、その後ソフト化された。『百万本のバラ』のモデルとしても知られるグルジア(ジョージア)の孤高の天才画家ニコ・ピロスマニの放浪の半生をハイライトで綴った傑作。

あらすじ動画

放浪の画家ピロスマニの主な出演者

ピロスマニ(アフタンジル・ワラジ)、ヴァノ(ダヴィト・アバシゼ)、ベゴ(テイムラズ・ベリゼ)、義兄(ショタ・ダウシュヴィリ)、姉(マルゴ・グヴァラマゼ)、マルガリータ(アッラ・ミンチン)、ディミトリ(ボリス・ツィプリア)

放浪の画家ピロスマニのネタバレあらすじ

簡単なあらすじ

【起】- 放浪の画家ピロスマニのあらすじ1

※現在はジョージアですが、名称位置法成立以前の物語につき、国名は「グルジア」と表記します。

19世紀後半・グルジア。幼い頃に両親と兄を亡くしたピロスマニは、両親が生前親しくしていた裕福な家族に、兄弟のうち1人だけ引取られ、のちにグルジアのチフリス(現:トリビシ)に移り住みます。その家の娘たちと兄弟のように育ったピロスマニでしたが、彼は一家の三女に恋心を抱いていました。
ピロスマニ、20代半ば。彼は未亡人となった三女に恋文を出し、口づけをしてしまいます。ピロスマニを弟のように可愛がってきた三女は非常にショックを受け、一家は大騒動に。屋敷に居られなくなったピロスマニは、家を出ました。

その後ピロスマニは鉄道会社に就職し、車掌として各地を回る3年間を過ごします。多少金も貯めて仕事を辞めたピロスマニは、商売を始めたいと思い、友人ディミトリのもとを訪ねました。ピロスマニは儲けて家を建てたいというささやかな希望を持っており、開店資金は自分が出資すると申し出たので、彼の考えにディミトリも同意。その後2人は乳製品の店を開店させました。店の看板には、少年時代から絵が得意だったピロスマニが描いた牛の絵を飾りました。小さな店ながら地元の人々や侯爵のコックも利用するなど、なかなかの繁盛ぶり。しかしピロスマニは、仕事中に昼寝をするための干し草を買おうとして、客を残したまま店を出て行くなど、商売人としての気質はありませんでした。

【承】- 放浪の画家ピロスマニのあらすじ2

ピロスマニが金持ちになったと思い込んだ姉のペペが、離れた町から夫婦でやって来ます。ペペと義兄は独身のピロスマニに貞淑な田舎の娘との縁談を持ってきたのでした。
程なくしてピロスマニと若い娘の結婚式が行われます。この地の伝統である、歌って踊っての宴が開かれました。ところがピロスマニは彼の店の商品を、義兄が田舎で高値をつけて転売していたことを式の最中に知ってしまいます。自分を金づるとして利用した縁談だと気付いたピロスマニは、式を投げ出して破談にさせました。

憤慨して店に戻ったピロスマニは、義兄に騙されたことをディミトリに報告します。お人好しで世間知らずなピロスマニに対し「いい勉強になった」とディミトリは冷静に反応。ところがピロスマニは、そんなディミトリにも激怒し、その場で絶交を言い渡しました。結局ディミトリが店を去ったため、ピロスマニ1人では商売など成り立ちません。彼は貧しい人々に惜しげもなく商品を分け与えると、店を閉めました。看板にした2枚の絵も、欲しいと申し出た人に言い値で売却し、街を去りました。

それ以来ピロスマニは、日々の食糧と1杯の酒を得るために、ドゥカニ(居酒屋と食堂を兼ねた庶民向けの店)の看板や劇画を描いて暮らします。ドゥカニの主人たちはピロスマニに親しみを込めて、“ニカラ”という愛称で呼び、彼に寝床や酒を与えるなど様々な面倒をみました。ピロスマニはドゥカニの主人で友人の1人であるベゴから、店で働くことを勧められることもありましたが、彼は貧しくとも自分のスタイルを変えることはありませんでした。

ある時ピロスマニが寄ったレストランのステージで、フランスから来た女優マルガリータが歌と踊りを披露していました。彼女に心を奪われてしまったピロスマニは、すっかり放心状態。しかし貧しいピロスマニにとって、女優など高根の花。恋が叶うはずもなく、ピロスマニはマルガリータへの想いを込めて、『女優マルガリータ』という作品を描き上げました。
いつにもなく物思いにふけるピロスマニを見たベゴは、彼に結婚を勧めてみます。しかしピロスマニは「私は1人で生まれて、1人で死んでいく」と答え、1杯の酒をしみじみと飲むのでした。

【転】- 放浪の画家ピロスマニのあらすじ3

若い画家のラドたちが訪れたドゥカニに飾られていたピロスマニの『キリン』に感銘を受けます。以来ラドたちは消息の分からないピロスマニを探すため、ドゥカニを転々と回りました。散々探し歩いたラドたちは、ようやく看板を描いていたピロスマニに遭遇すると、彼の作品に対する熱い想いを伝えるのでした。
1916年。ラドたちの計らいで、ピロスマニはグルジアの芸術家協会に招かれます。協会の司会者はピロスマニの作品を絶賛し、動物が描かれた作品でその筆が最も冴えわたると称しました。ピロスマニは自己紹介の際、このように挨拶をします。「街の中心に大きな木の家を建てましょう。サモワール(給茶機)を囲んで、茶を飲み芸術を語り合いましょう」と。

ピロスマニは自身の幼少時代を回顧しながら、疎遠になっていたペペの家を訪ねます。ペペも義兄もピロスマニの来訪を歓迎し、縁談の時以来に和解しました。その帰り、ピロスマニはかつて結婚を破談にした娘とすれ違います。彼女は今では5人の子供の立派な母親となっていました。

チフリスを放浪していたピロスマニは、回ったドゥカニの数軒で、自分の作品が外されていることを知ります。そのうえピロスマニが挨拶をしても、ベゴは素っ気ない態度。第一次世界大戦の影響で、多くのドゥカニが閉店を強いられていたのでした。
さらには…。店を失ったベゴたちは街の通りにテーブルを置いて構えていて、通りかかったピロスマニに痛烈な言葉を投げかけました。一度は脚光を浴びたピロスマニでしたが、“基本を知らない”と独学の彼の絵が新聞で批判されてしまったのです。“今から勉強しても遅くない”とのコメント付きで、ピロスマニを中傷した戯画まで掲載されました。記事を読んで冷たい言葉を浴びせる友人たちに、ピロスマニは「僕は今までどおり描くだけさ。手本などは必要ない。心にひらめくままだ」と反論しました。しかしピロスマニは深く傷つき、茨の道が始まると悟ります。ピロスマニは友人たちが手放した『キリン』を持って去りました。

【結】- 放浪の画家ピロスマニのあらすじ4

生活に困窮したピロスマニは、駅前通りにある古い家の階段下の僅かなスペースを借りて暮らしました。ピロスマニの近況を聞いたラドは、仲間たちから集めた金を渡すために再び彼を探し回ります。ピロスマニは久々に会ったラドに、なぜ画家同士で足を引っ張り合うのだろうと嘆きました。人恋しくなったピロスマニは、帰ろうとするラドに「私の絵があるから」と言ってドゥカニに誘います。しかし店の壁はもぬけの殻…。ピロスマニの絵はあっさりと売却されていたのです。立場のないピロスマニは、ラドを見送ることしかできませんでした。
失望したピロスマニが街を歩いていると、ディミトリと遭遇し、ピロスマニが名付け親である彼の娘が死んだことを聞かされます。ピロスマニは自分が不幸を呼ぶのだと、責任を感じて塞ぎこみました。

復活祭の3日前。ピロスマニの友人たちが、空になったドゥカニに彼を閉じ込め、絵を描くよう強います。復活祭や収穫祭に特別な想いを寄せていたピロスマニですが、絵を描く気力もない様子で、「無理だ」と拒みました。
3日後、街は復活祭の宴で盛り上がっていました。すっかりピロスマニの存在を忘れていた友人たちが、慌てて閉じ込めた部屋に向かいます。そこには大作(『ボルシギの聖ギオルギ祭』)が、見事に仕上がっていました。ピロスマニは無言で部屋を立ち去り、友人たちに名前を呼ばれても振り返ることはありませんでした。家へ戻ったピロスマニは力尽きて、冷たい床に座り込みました。

やがて馬車に乗った使者がピロスマニを迎えに来ます。何をしていると尋ねられたピロスマニは、「死ぬところだ」とポツリと答えました。鈴の音が鳴る馬車に揺られ、ピロスマニは天国へ旅立ちました。

みんなの感想

ライターの感想

様々な出来事が全て断片的に綴られているので、クールすぎる印象も受けつつもそれがまた粋でした。ピロスマニの絵に対するリスペクトが存分に感じられる画面の構図がとても美しかったです。想像上の演出ではありますが、ラストシーンも芸術的で、涙を誘いました。
詳しくはありませんが、ピロスマニが描く動物の目がとても優しいと感じました。人とはうまくコミュニケーションが取れなかったかもしれませんが、心の優しい人だったのではないでしょうか。『百万本のバラ』のイメージが強かったのですが、今作にてピロスマニの印象がぐっと変わりました。

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