映画:ゴジラ-1.0

「ゴジラ-1.0」のネタバレあらすじと結末、みんなの感想(1件)

SF映画

ゴジラ-1.0の紹介:2023年11月3日公開の日本映画。TOHOスタジオ・ROBOT制作。戦後間もない日本を舞台に描かれる、山崎貴脚本・VFX・監督による怪獣映画。『ゴジラ』シリーズでは37作目であり、国産の実写作品としては通算30作目。『シン・ゴジラ』以来7年ぶりとなり、ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている。

ゴジラ-1.0の主な出演者

敷島浩一 – 神木隆之介 大石典子 – 浜辺美波 水島四郎 – 山田裕貴 橘宗作 – 青木崇高 野田健治 – 吉岡秀隆 太田澄子 – 安藤サクラ 秋津淸治 – 佐々木蔵之介

ゴジラ-1.0のネタバレあらすじ

【起】– ゴジラ-1.0のあらすじ1

ゴジラ-1.0のシーン1

画像引用元:YouTube / ゴジラ-1.0トレーラー映像

ゼロ戦が海の上を低く飛び、島に着陸します。

【1945年 大戦末期の大戸島飛行場】

着陸したのは特攻部隊の敷島浩一・少尉で、ゼロ戦のなかで荒い息を吐いています。敷島は機体の不具合を訴えました。しかし大戸島にいた整備兵の橘宗作は、機体に悪いところはないと敷島に報告します。

敷島は特攻を避けて生き延びたいために、機体が故障したという虚偽の報告をしていました。ことばに詰まる敷島に、橘は「いいんじゃないですか、あんたみたいなのがいたって。どうせ戦争の結果は見えている」と答えました。敷島はそれを聞きながら空を仰ぎます。

空から海に目を落とした敷島は、そこにたくさんの深海魚の死骸が浮いているのを見ました。どれもなにかの力で深海から急浮上させられたらしく、浮袋を口から出して死んでいます。

夜、敷島が飛行場基地の薄い布団で寝ていると、空襲警報が鳴ります。敵襲かアメリカ軍の新兵器かと思いますが、そうではありませんでした。基地に現れたのは巨大な恐竜のような怪物で、島民ではそれを昔から「呉爾羅(ゴジラ)」と呼んでいると地元の整備兵が言いました。

ゴジラは櫓でライトをともしていたタキという兵士を攻撃すると、基地で暴れ始めました。整備兵らは防空壕のようなところへ逃げます。

敷島は橘に「ゼロ戦の機銃(20ミリ砲)でゴジラを撃ってくれ」と頼まれました。機銃を操れるのがほかにいないからです。「手負いにすると危険では」と敷島は言いますが、手負いにしていなくてもゴジラは暴れています。敷島はゼロ戦まで移動して操縦席に乗り込みますが、怖くて撃てませんでした。

防空壕へ逃げ込んだ整備兵のひとりが、恐怖のあまりに持っていた猟銃を発砲します。銃弾を受けたゴジラはより一層暴れると、整備兵らを攻撃します。巨大なゴジラに踏みつぶされたり、太い尻尾で吹き飛ばされたり、頭から齧られたりして、兵士らは次々に命を落としました。

ゴジラは敷島のゼロ戦も咥えようとし、敷島は間一髪逃げ出しました。ゴジラはゼロ戦を口で放り投げると、大きな咆哮を上げました。敷島はそれを聞きながら気絶します。

敷島は明け方に地面の上で目覚めます。ゴジラはもうおらず、満身創痍ながら生き残った橘が左足を引きずりながら仲間の遺体を回収していました。辺り一帯がゴジラに破壊されています。

敷島が近寄ると橘は「みんな死んだぞ。死んだんだぞ。お前が撃たなかったからだ。チキショウ」と叫びます。

その後、戦争が終わりました。引き上げ船に乗せられて帰国した敷島は、同じ船に乗り合わせた橘から写真を渡されます。

それは、戦争で大戸島にいた整備兵らが持っていた家族の写真でした。それを見た敷島は、やりきれない思いを胸に抱きます。

【1945年12月 東京】

敷島は自宅に戻りますが、自宅一帯は焦土となっていました。自宅の焼け跡の前に立っている敷島に声をかけたのは、隣人の太田澄子です。特攻へ行ったはずなのに生きて帰ってきた敷島を、澄子は「平気な顔して帰ってきてからに。あんたたちがしっかりしてたら、うちの子たちも死なずに済んだんだ」と責めました。

敷島が自分の両親のことを聞くと、澄子は「みんな死んだ。うちの子と同じ」と答えます。敷島は両親に生きて帰って来いと言われていたらしく、あぜんとします。

天涯孤独の身となった敷島は、雑然とした闇市で食事をとっていました。そこへ揉め事に巻き込まれたのか、ひとりの女性が誰かに追われてやってきます。女性は敷島に持っていたものを渡して去っていきました。渡されたものが赤ん坊だと知り、敷島は驚きます。

敷島はそのまま去ることもできずに赤ん坊を抱いたまま、しばらく女性の帰りを待っていました。しかしなかなか戻らないので、困惑しつつ移動します。そこへ女性が接近しました。人目のあるところで敷島に近づくこともできず、女性も困っていたのだそうです。

女性は敷島にくっついて家までついてきました。敷島が聞くと、女性はその赤ん坊の母親ではなく、空襲のときに死にかけの母親に託されたと答えました。女性は大石典子、赤ん坊は明子と言いました。

典子は敷島の住む自宅のバラックで寝入ってしまい、そのまま居つきました。敷島は困惑します。

翌朝、隣人の澄子は敷島が典子を連れ込んでいることに「何様のつもりだ」と責めます。敷島が勝手に居ついたと答えると「追い出さないなら、拾ったも同然だ」と指摘します。

嫌味の連発を繰り返していた澄子ですが、典子と明子が実の母子でないと敷島から聞くとおもゆを持ってきます。それを赤ん坊に吸わせたあと、とっておきの白米を典子に渡して赤ん坊のために使えと言いました。敷島と典子は感謝の念を抱き、澄子の背に頭を下げます。

【1946年3月】

ずぶぬれで敷島が家に戻ってきました。敷島は職探しに出かけて、職を決めて帰宅しました。多額の支度金を出すけれども、危険な仕事です。

仕事内容は戦時中にアメリカ軍が撒いた6万個の機雷の撤去作業でした。命の保証がないということかと典子は止めますが、敷島は「危険なだけで、死ぬと決まったわけではない」と言ってその仕事をしようと決めます。

機雷回収の特別誂えだという船は、新生丸というボロい木造船(特設掃海艇)でした。ボロいのにはわけがありました。アメリカ軍の磁気式機雷は金属船が接近しただけで反応して爆発するので、それで木造の船なのです。

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